一つの映画が世界そのものであるということ 『クーリンチェ少年殺人事件』試論

一九九一年という年号は、ソ連という国家の消滅によってではなく、ましてやジョナサン・デミの『羊たちの沈黙』がハリウッドでオスカーを独占したことによってでもなく、『クーリンチェ少年殺人事件』と題されたたった一本の映画が台湾から世界に向けて発信されたという希有の事件によって記憶されることになるだろう。(蓮實重彦『映画狂人日記)


「1959年夏」 遠く、開いたドアの向こうから話し声。椅子に座る男の背中が見える。息子の、試験の結果に異議を申し立てる父親と、試験を監督する立場の女性らしき2人の会話だとわかる。部屋の外のベンチに座る「息子」と思しき少年。試験は名門、建国中学への入学に際したもので、昼間部を希望していたのだが結局夜間部にしか入れない結果だったようだ。
生い茂る緑の木の葉がまばらに影を作る並木道、画面の消失点から並んで走りくる自転車。2人の顔がはっきりと見える前に場面は変わる。テーブルを前にし、眉をしかめタバコをふかす父親。氏名を読み上げる声が続く。ラジオからのものだろう。大学合格者の発表のようだ。浅い皿に盛られたかき氷が運ばれてくる。向かい合わせに息子。けだるそうに目をつぶり、椅子にもたれかかる店の娘。
ここで字幕によって、映画の時代背景が説明される。

1949年前後 数百万の中国人が
国民党政府と共に台湾へ渡った 
安定した仕事と生活を求めてのことだった
未知の土地で動揺する両親の姿に少年たちは不安を覚え 
グループを結成し自己を誇示しようとした

しかしこの説明はどこか余計な印象を与える。なぜなら、映像はすでにして記述的な歴史=物語という図式とは全く異なる位相を示しているからだ。映画が始まると同時に表示される年号は、これは過ぎ去ったいつかの光景なのだ、という感覚を裏付けるように遅れて理解される。そこでは過去感と現前性は矛盾なく同居している。しかし、そのリアリティは記録映像のそれとも異なっている。『クーリンチェ』の映像からはいかなる意志も感じ取ることができないからだ。カメラも、見、感じ、想い、考える主体もそこには存在しない。つまりどのような媒介も経ずにそれは直接与えられる。そういった意味においてわれわれが体験するのは世界の開闢、それが過去性を伴っているがゆえに、世界それ自体の記憶とでも言うべきものなのだ。
ここで私が言う「世界」とは「全て」のことである。それは、いかなる記述もその同一性を確定することが不可能であるにも拘らず、現前している以上のものはない、ということだ。言い換えれば、意味も、それを生み出す地平としての文脈=物語も存在していない、ということ。

物語的位相
しかし、『クーリンチェ少年殺人事件』もまたひとつの映画であり、物語を、それも他の映画と比較しても濃密といってよい水準の物語を持っている。奇妙なことに、このことはそれが「世界」であるということとの間に矛盾を生まない。
『クーリンチェ』を映画としてみたとき、そこにおいて世界は学校・教師、友人・敵対するグループ、恋人、家族といった他者たちからなる台湾(台北)社会とイコールであり、それはどこまでも外在的で、内部にいる人々を無慈悲に翻弄する。
主人公はスー。建国中学夜間部に通っている十五歳の少年。スーの本名はジャン・ジェン。スーは通り名で、シャオスー(小四)という四番目の子を意味する言葉から来ている。少年たちはグループをつくり、スーの周辺では「小公園」と「軍人村」の二つがあり、それぞれ対立関係にある。彼は前者に属している。スーはミンという同年齢の少女と出会い、互いに魅かれあっていくことで、両グループの対立に深く巻き込まれていくことになる。ミンは軍人村の側に属しているとみなされながら一方で、小公園のリーダーだった「ハニー」というあだ名の男の恋人であるという複雑な位置関係にいる。ハニーは現在海兵となり台北を離れているが、その不在は両グループにきわめて強い影響を与えている。それゆえ、ミンに近づくことは、小公園の側からは「ハニーの女に手を出した」といって攻撃され、軍人村の側からも「俺たちの女に手を出した」といって襲われることを意味する。そのような環境の中でスーはミンと関係を紡いでいく。
スーたち少年は学校・教師たちと敵対関係にある。教師は常に高圧的であり、生徒を見下している。反抗的な態度をとればすぐに懲罰を与えようとする。スーが教師たちに向ける眼差しは強く鋭利で、決して臆することがない。彼が問題を起こして学校に父が呼ばれたとき、父はスー同様に、しかし身体的な振る舞いによってではなく、教師たちを批判する。「そんな官僚的な態度では教育などできない!いい子も悪くしてしまう!懲罰など怖くはない!」と。二人で自転車を押しながらの帰り道。父は息子に向かって、「よく勉強して生きる拠り所を掴むんだ。未来を信じなさい。努力しだいで道は開けるから」と説く。息子は父を信頼し尊敬しているのが見て取れる。
スーの父母は外省人、つまり大陸から台湾に渡ってきた人間であり、元は上海の知識人だった。しかし現在では頼れる知人は限られ、生活に馴染めないでいる。ある嵐の夜。それは軍人村によって殺されたハニーの仇討ちにスーがヤクザと共に加わっている夜なのだが、父は問答無用で男たちに連行される。その先で父はひたすら知人たちとの関係を尋問され、そのことについて書くよう命じられる。その軟禁状態は幾日にもわたる。がしかし、連行のときと同じく唐突に、帰宅を許される。それらは、外省人思想統制を目的とした秘密警察の仕業だと示唆される。その後帰宅した父は精神を病み、夜中に起きだしては存在しない侵入者を大声で探し始める。
スーがついに退学を言い渡されたその日、父は教師を批判することはできず、処分の取り消しを請う。2人の帰り道はどちらもほとんど話すことがない。口を開くのは息子の方で、父を慰めるように、昼間部への編入を目指すと宣言する。
表向きには試験勉強のため、ということだが必ずしもそれだけではなく、おそらくはさまざまな精神的疲労のためにスーはミンと会う時間が極端に減少する。そのような中で、スーは友人であるマーがミンの母親を家政婦として雇うと同時に母子を自らの家に住まわせていることを知る。マー自身の口からミンとの関係について「適当に生活させて遊ぶだけだ」と聞き、スーは激昂し、復讐を宣言する。小刀を懐に中学の門前である大通りをうろついているところをミンに見つかり、非難される。ミンの発した絶望的な一言が引き金となり、スーはミンを刺し貫き殺してしまう。

若い男女の恋愛が外的な障害を伴い、それが悲劇として終わるのも、一個人の正義が集団に敗れるのも、ほとんど物語の定型であるといってよい。そもそも蓮実重彦の言うように物語とは定型としてしかありえないのだ。それゆえ作品の独自性はしばしばその語り口に求められる。

物語的映画 侯孝賢悲情城市

台湾の歴史をその題材としている、という共通項を持ちながら、その語りが『クーリンチェ』とはわかり安すぎるほどに異なっている作品がある。侯孝賢の『悲情城市』だ。
悲情城市』は、ラジオから聞き取れぬほどの音量で抑揚の欠けた声が流れる、ろうそくだけが明かりの薄暗い部屋の映像から始まる。険しい面持ちで仏壇に長い線香をあげる中年の男。奥の部屋には妊婦と産婆。そわそわと落ち着かぬ様子でタバコを吸い、手伝いの女性に産湯のためのお湯をせかすと、白熱灯がともる。「今ごろつきやがって」と悪態をつきながら、かさから垂れ下がっていた布をめくり挙げて結び終えると、男は画面から去り、産声。そして煌々とともる白熱灯だけの部屋に字幕が流れる。

1945年8月15日 日本の天皇は無条件降伏を宣し 台湾は五十一年にわたる日本統治を終えた

タイトルが大きく表示されると同時に、高らかに音楽が流れる。管楽器と打楽器からなる、単純だが、厳かで壮大な音楽。そして、高地から望む、遠く霞に煙るまで広がる入り江。
玉音放送、出産、音楽、風景。この構成は、歴史という物語を呼び込み、映像を比喩的に用い、ひとつの画面によって多くのことを語らせている。つまり、意味の密度が非常に高く、そのことは物語としての映画を豊かにし優れたものとしている。『悲情城市』は「歴史」とは異なる位相に特異性を持つ『クーリンチェ』と対照的に、歴史に依拠し、それ自体歴史そのものであろうとする作品なのだ。

技術的特異性 ジョン・アンダーソン/細川晋

画面の構成如何によって物語性が強まるとすれば、その逆もまた可能ではないか。だとすると「世界」という感覚を、その限定性の欠けた一語によって徒に神秘性を示すにとどまらず、分析的に記述し伝達することもできるだろう。
ジョン・アンダーソンは『クーリンチェ』の映像の特異性について次のように述べる。

フレームの使用法からは、自分が描いているところの人生に秩序を課そうとするヤンの試みが見て取れる。人物たちがキャメラの視界に出入りするとき、キャメラはしばしば引いたり、あるいは止まったままだったりする。視界のこの静止性は、監督自身も含めて人々が望むとおりに、人生が動いてくれないことへのフラストレーションを表わしているかのようだ。暗闇――とりわけ、軍人村での殺害が行われる際の、唯一の明かりの光の中を、斬られた身体がしばしば一瞬横切るだけの絶対的な闇――は、それ自体「クーリンチェ」の登場人物である。これは、そこに住まうものの魂を蝕む苦悩同様、決して逃れられないものである。(アンダーソン、113-114)

視界の静止性と暗闇。「クーリンチェ」の画面の特徴としては疑いようのないものだ。しかしアンダーソンはそれを物語の強化機能としてみなしている。つまり、世界=物語と、その内側の人々との関係を表象するものとして。アンダーソンにとって、「クーリンチェ」は「映画」でしかないのだ。
同じ特徴について、細川晋は本論の仮説に近づいた議論を展開している。いくつか引用しよう。

実のところ、この映画の真の衝撃は、物語の残酷さ以上にそれにふさわしい語りの残酷さがもたらすものである。この映画は、見通しをさえぎり、諸細部を宙吊りにする諸々の欠性を積極的に導入し、人物を中心とする語りの効率に終始抗い続ける。一方で、それらの欠性は、驚くほど凝集された画面内の事物や出来事、また画面外のせりふ、音声を通じて得られる複合的な情報を細部に至るまで動員し、想像上の空間で堅密に語りに統合する想像力によって補われる。では、それらの欠性を便宜上分類しながらその事例を見てみよう。

まず《視覚的欠性》に、光量不足の暗部にある事物の識別不能性が挙げられる。この映画の照明では一般に、人物や事物を中心化する以上に、暗部と光源が強調されるのだ。さらに、縦の構図における画面奥の事物の識別不能性、同一ショット内で同時多発的に生じる特定不可能なアクションの複数性による脱中心化という特徴が指摘できる

この映画には説明的要素に選考するアクションを不意に呈示する、語りの宙吊りとでも言うべき編集が顕著である。その典型が、見られるものと見るものの示される順序の転倒だ。またとりわけ未知の人物の導入に際し、人物が画面奥に遠ざけられ、激しく動き回り、顔を見せず、時には画面から排除され声のみでその存在を示すなど、人称と身体を統合する同定指標を欠く事例に、いわば《説話上の欠性》が見て取れるだろう。

もちろんここにおいても「クーリンチェ」は未だ「映画」として経験されている。しかし、映される人物・事物がその中心からはずされ、照明=光が強調されるという指摘(視覚的欠性)と、同一画面、画面間の統合が欠け、語りが宙吊りになっているという指摘(説話上の欠性)は、「世界」という感覚とその定義を裏付けているといっても決して誤読ではないだろう。

世界、存在しないカメラ
ここで長谷正人の秀逸な映画論を参照しよう。彼の映像の本質をめぐる議論は、ほとんどエドワード・ヤン映画のためにあるといっても過言ではない。長谷は、その書物の始まりにベルグソンを引用する。(田島節夫訳、ベルグソン全集第二巻、白水社

しかし仮に写真があるとしたら、写真は事物のまさしく内部で、空間のあらゆる点に向けてすでに撮影され、すでに現像されていることを、どうして認めないわけにいくであろうか。どのような形而上学、いや物理学も、この結論を避けることができない。 『物質と記憶』 (p.44)

 光線とは存在しないカメラであり、世界とは常にすでに撮られてある写真だというのである。そして、機械であるカメラによって写し取られる写真・映像の本質もまた、そこにあるのだと。「カメラという機械は、けっして…人間的な関心によって世界をとらえるわけではない。…自動的に、自分の前にある事物が発した光をそのまま受容するだけである。」それゆえに、そこに開示される視線は、絶対的に受容的なものであり、その対象はどこまでも平等で、それがフレームに収まるのは偶然以外の何物でもない。そして他ならぬこの意味において『クーリンチェ』は「世界」なのだ。先に挙げた、『クーリンチェ』の技術的特性である、《視覚的欠性》及び《説話上の欠性》はここから要請されたものだと言えよう。しかし、そのような視線にわれわれは多くの場合耐えることができない。なぜならその視線の元では、あらゆるものが平等であると同時に、全てが無意味だからだ。その無意味さを克服するために映像は編集され、そうでないもの、例えば長谷がカメラ的視線の純化された例として挙げる、リュミエール兄弟の『海水浴』などはそこに反復を見出され身体的快楽へと還元される。ところが、『クーリンチェ』においてはどちらの形でも「無意味さ」は克服されない。精確に言えば先に述べたように物語的な位相は『クーリンチェ』にも存在している。しかし、その物語は映画から抽象され記述された後のように自明に存在しているのではなく、無根拠な、どこまでも偶然的な画面の連続が、事実そうでしかあり得ないこと、それを奇跡として受容すること、そのことによって、偶然性の極においてそれが必然性へと転換する、人々が「運命」と呼ぶ事態の上にかろうじて存在しているのだ。

この世界という私 

「世界」を他に並ぶもののない一つの「世界」として限定するものはその運命に他ならない。
始めに述べたように、「世界」とは全てである。にも拘らずそこには限定性が覚知される瞬間があるのだ。ショットの無根拠な選択性も常に限定性=運命性を帯びているのだが、『クーリンチェ』においてそれは半ば自明な体験である。それがもう一度偶然性の極へと振れ、「世界」が危機に陥るシーンがある。そのシーンは物語的な位相においても映画のクライマックスであり、映画のタイトルどおりの事態が引き起こされるシーンでもある。

事件が起こる直前、スーは学校に隣接する映画の撮影所にいる。友人のモーに、マーを決闘のため呼び出すよう頼んでいたのだ。しかし、やってきたモーは、マーが日本刀を持ってきたので勝ち目はない、明日にしよう、と告げて去っていく。ひとりになったスーに映画監督が声をかける。「この前の女の子を呼んできてくれないか。引っ越してどこにいるのか…」と。スーがミンに出会った日、2人は撮影所に忍び込んだ。天井に張り巡らされた通路から撮影風景を除いていた2人だったが、逃げ出すときにミンが見つかる。彼女は直前に足を怪我していたのだ。監督に目をつけられ、彼女はカメラテストに行くことになり、後日演技をすることになった。その後、二度と撮影所に行くことのなかったミンだが、監督はミンのことをひどく気に入っていた。「泣くのも笑うのも自然でとてもいい」と。その言葉を聞いてスーはこう返す。「自然?そんな見分けもつかずに映画を?笑わせるよ」
夜になり、学校の前で小刀を懐に待ち伏せするスー。それをミンが見つける。

どうしたの? なぜ学校へきたの? それ何? やめて何なの? マーを捕まえに? そうなんでしょ? ダメよそんなの

ミン 君のこと全部知ってるよ でも気にしない 僕だけが知ってて君を助けられる 君には僕だけだ

 スーの撮影所以降の発言は、世界は一つであり、後は立ち位置の問題にすぎないという考えが前提にある。特別な場所に立てば、他者の真実を知ることができる、と。しかしそれはすぐさま否定される。

あなたなら私を変えられると? あなたも同じね 意外だわ ほかの人と同じ 親切にするのは私の愛情がほしいから そして安心したい 自分勝手ね 私を変えたい? 私はこの世界と同じよ変わるはずがない あなたは何なの?

最後の言葉を言い終わる前に、スーは抱きつくようにミンに体当たりする。

君こそなんだ!恥知らず!

泣き叫びながら刀を持った右半身を繰り返し押し付ける。ミンの体が崩れ落ちると、視界は一気に引く。二人は広い通りの中央、傍らには大きな木。スーがミンを見下ろし呟き始める。

ミン 立てよ 立ってくれよ

呟きはやがて叫びに変わる。スーの腹部は真っ赤に染まり、遠くからその鮮やかさだけが際立つ。 最後まで、スーはミンの言葉が意味することを理解できなかった。というより、おそらくは理解を拒否していた。実のところミン自身でさえ自らの言葉がもたらす効果など全く意図になかったに違いない。
「私はこの世界と同じよ」と彼女が言った瞬間、それまでの四時間弱の間、一切、彼らの心、あるいは内面と呼ばれる領域に触れえなかったことに思い至るだろう。ミンが台湾=社会のような外的環境と同じ意味で「この世界」という言葉を発したのだとしても、それはスーの世界との隔絶をあらわにし、同時にその2人に投げかけられる一貫して無関心な視線は、映像が開示してきた「世界」はミン、スー、そのほか全ての人々のそれを内含しておらず、否定的に示すだけだとわれわれに気づかせるのだ。
しかし、物語の悲劇性にも拘らず、徹底的に孤立した世界は肯定されたままだ。『クーリンチェ少年殺人事件』という映画が教えてくれるのは、「世界」はそれが「世界」である以上、常にすでに肯定されているということ。けれどもそれは決して消極的な事態ではなく、全力で表現されねばならないということなのだ。
『クーリンチェ少年殺人事件』は現在その鑑賞がひどく困難な状況にある。一人でも多くの人がこの美しい映画に出会えることを祈って、本稿を終える。


参考文献

アンダーソン、ジョン 篠儀直子訳 『エドワード・ヤン』 青土社 2007年
蓮實重彦 『小説から遠く離れて』 河出文庫 1994年
       『映画狂人日記』 河出書房新社 2000年
長谷正人 『映像という神秘と快楽』 以文社 2000年
楊徳昌電影読本』 シネカノン 1995年