母は強し。

ラニーニャ

ラニーニャ

どこかで読んだ、というより、聞いたことのあるような文章。でも、小説では初めて。初めてだったから、最初のうちは読みにくかった。僕はそのままの流れで読もうとしているのに、ぶつっと、ほとんど暴力的に文章が切れる。語り手は一方的にしゃべり続けて、突然話が別のところに飛んでいってしまったりするのも、一度や二度ではない。それでも慣れてくると、その独特のリズムと、話の飛躍が感情を生み、またその感情がリズムと飛躍を生んでいるようで、どんどん引きずり込まれていった。読後感もよし。
もっともっと、この小説の面白いところ、すごいところはたくさんあるけど、ぜんぜん言葉に出来ない。加藤典洋が「小説の未来」で批評していたはず。もう一度読んでみよう。


余談ですが、今福龍太の「クレオール主義」(未読)をぱらぱらとめくっていたら、表紙に使われている標識の元ネタを発見しました。実際の標識では、「ラニーニャ」(女の子)が「CAUTION」(注意)となっており、「女の子とその手を引く母親」らしきシルエットの前には、父親であると思われる男性が描かれえています。そして、その下の「PROHIBIDO」(スペイン語で禁止)は、表紙と同じです。誰が、何に対して注意するよう呼びかけられているのか、また、誰が何を禁止されているのか、これだけの情報で考えてみると面白いかもしれないですね。