書くことの倫理?

場所 (Hayakawa Novels)

場所 (Hayakawa Novels)

書かれているのは父の物語だ。「読むことも書くこともできない人だった」男をその父親に持ち、自らはプルーストやモーリヤックが描いた時代、フランス・ノルマンディー・コー地方の内陸の村で幼少期を過ごしたひとりの男の。男は読み書きこそできるようになったものの、十二の時にはすでに農場で働き始める。大戦で兵役につき、外の世界を知って、村へ帰ってくると農業には嫌気がさし、工場の労働者となった。そこで彼は母と出会い、小さな商店を始め、それは後にカフェを兼ねることになる。父が貧しい生活の中で育てた娘は知的に優秀で、大学へ行く。彼女が「エリートの」教員になった、という知らせを聞いた二ヵ月後に彼は六十七年の生涯を終えた。物語は、その「エリートの」教員である娘によって書かれる。
彼女は、父について書く動機、それにあたっての態度を表明する。

 日曜日、帰りの列車に乗った私は、息子がおとなしくしているよう、努めて機嫌をとっていた。一等車の乗客は、騒々しい物音やはしゃぎ回る子供を嫌うものだ……。そのときハッと気がつき、茫然として思った。「今では私も、本当にブルジョワ女になってしまった」、そして「もう後戻りはできない」と。
 その後、初めて赴任先の決まるのを待っていた夏のある日、ここに至った経緯に説明をつけなくては」と思い立った。父のこと、父の人生のことを述べたい、書きたいという気持ちになったのだった。そしてまた、私の思春期の頃にできてしまった、父と私との隔たりのことも。いわゆる階級差による距離には違いないのだが、特殊な、名状しがたい隔たり。切り離されてしまった愛のようなもの。

そこで私は、父を主要登場人物とする小説を書き始めた。が、物語の途中で嫌気がさしてしまった。

最近になって、小説にするのは無理だとわかった。糊口を凌ぐことに明け暮れざるをえなかった人生を語る以上、私には、初めから事実より芸術の側に加担したり、「興味津々な」あるいは「感動的な」何かを作り上げようとする権利はない。私は、父の言葉や動作や好みを、父の人生の主だった出来事を、自分もかつて共にしたひとつの生活のあらゆる客観的なしるしを、集めるつもりだ。
詩情をかもし出す回想も、愉快な嘲弄も一切なし。私は極自然に、何の変てつもない文体、かつて両親に近況をかいつまんで知らせるときに用いていたのと同じ文体で書く。
(P.20-21)

彼女が書くとおり、物語は慎重に抑制された筆致で進んでいく。読者が、というより自らがその物語に没入することを禁じるように、文章はすぐに余白によって区切られる。常にそこには「書き手」としての彼女がおり、書かれている「現在」は消えることがない。それゆえ、父の言葉や振る舞いについて記されるとき、そこに懐かしさ、微笑ましさを感じ取った瞬間、それは悲しみに染まってしまう。父を通して描かれるある時期、ある地方、ある階層の生活。「辛いことはあってもまあ幸せだったのさ。でなくちゃ、やっていけねえよ」そういったものに対する懐古趣味にも浸ることは許されていない。過去の情景に想像的に同化すること自体がそこでは禁じられているのだ。父との、あるいは過去との断絶は断絶のまま保持される。父と隔てられることのなかった世界は「ありえたもの」としてさえ描かれない。彼女は父について書くにあたって、倫理的であろうとするがゆえに、自らが書く世界=貧しいが幸せな生活、自らが書いている世界=ブルジョア、知的エリートの生活、のどちらにも居場所を失っているように見える。そのような彼女を、ブランショカフカに与えた「芸術」の名のもとに位置づけることもできるかもしれない。


芸術とは、先ず第一に、不幸の意識であって、不幸に対する埋め合わせではない。カフカの厳しさ、作品の要請に対する彼の忠実さ、不幸の要請に対する忠実さ、こういうもののために、彼は、人生に幻滅した多くの弱い芸術家たちがそこで自足しているような、あのさまざまな架構で作り上げた楽園を持たなかった。芸術の目的は、夢想でも「構成」でもない。だがまた、芸術は、真理を述べるわけでもない。真理とは、知られたり述べられたりする必要はなく、おのれを真理とさえ知ることさえできぬものであり、それはちょうど、地上の救いが、問われたり思い描かれたりすることではなく、成就されることを求めるようなものだ。こういう意味では、芸術のいるべき何の余地もない。きびしい一元論が一切の偶像を排除している。だがまた、これと同様の意味で、たとえ芸術は、一般的には、根拠づけられないとしても、ただカフカにだけは、根拠づけられているのだ。なぜなら、芸術は、まさしくカフカがそうであるように、この世の「外」にあるものと結ばれており、内奥もなく憩いもないこの「外」の深みを、つまり、われわれが、自分自身とさえ、自分自身の死とさえ、もはや可能的な関係を持たぬときにあらわれるものを、表現しているのだ。芸術は、「この不幸」の意識である。自分自身を失った人間、もはや「私」といいえぬ人間、そしてこのように動いていくうちに、この世も、この世の真理も見失い追放の運命に従う人間、ヘルダーリンの言う、神々がもはや存在せず未だ存在せぬ窮乏の時に属している人間、そういう人間がおかれた状況を、芸術は描くのである。このことは、芸術が、ある他界を断言していることを意味しない、まさしく、芸術は、ある他界にではなく、どんな世界に対しても他者であるものの中に、その根源を持っているからだ
(P.91-92) 「文学空間」 M・ブランショ


しかし、そうしたとき「芸術」=「不幸の意識」と彼女の差異が浮き彫りになる。何より彼女は、「私」と言い得ている。そして時には積極的に、「私」を主張してさえいるのだ。

私はゆっくりと書く。さまざまな事実と行われた選択を一連のものとして拾い上げ、そのなかにひとつの人生の筋道を示そうと努めながら書き進めるに連れ、自分の視野から父個人の姿が消えていくような気がする。全てが典型化し、観念が一人歩きし始める。逆に、記憶のなかのイメージを自由にそこに滑り込ませると、私は、父の在りし日の姿を、その笑いの動作をまざまざと思い出す。例えば、父は私の手をとって縁日に連れていってくれるが、私はメリーゴーランドを怖がる……。こうして、他の人々と共有した一つの生活条件のしるしが全て、私にとってどうでもよいものとなる。そのたびに私は、個人的なものの罠から自分を引きはがす。 
 当然ながら、書く楽しみは一切味わえない。何しろ私は、かつて耳にした言葉や言い回しにできるかぎり身を寄せ、時にはそれらに傍点まで打つようなことをしているのだ。傍点はこの場合、読者に二重の意味を示唆して暗黙の了解を交わすための目配せではない。そもそも私は、郷愁、哀歓、嘲弄等のいずれにおいても、読者とこっそり示し合わせるようなことは拒否する。傍点を打つのは単に、その単語や句が、父の生きた階層の社会、私もまたそこで生活した社会の限界と雰囲気を端的に示すからだ。第一、その社会では、ある言葉を別の意味にひねって使うことなどけっしてなかったのだ。
(P.51-52)


「私」という書き手を意識させることは、物語への没入を拒否する倫理的態度だ、と書いた。しかし、その倫理的態度を主張すること自体は、どこか言い訳のように読めてしまわないだろうか。この物語にエピグラフとして掲げられているジャン・ジュネの言葉、

あえて説明してみようか。書くのは、裏切ってしまったときの最後の手段なのさ


この「最後の手段」とは自己正当化のためのそれである、というように。

なぜ私は書くのか?――数ある理由のなかでも、義務によってということはありうるだろう:例えばある大義のために、社会的道徳のために、教育したり、教化したり、闘争したり、楽しませたりするために。これらの理由は軽視できない;けれどもそれらが書くという行為を社会的、あるいは道徳的(外部的)要請に従属させるかぎりにおいて、私はそれらの理由を自己正当化の根拠として、アリバイとして生きている。さて、できるだけ明晰になってみれば、私はひとつの欲望(強い意味での)を満たすために書いていることを知っている。
 (P.221) 「小説の準備」 ロラン・バルト

そうすると、たとえば次のような箇所は、少なくとも書くことにおいては倫理的な態度を貫くことができたのだ、という、書き手としてはすでに正当化された「私」の言葉として受け取られかねない。

 

ある著作のタイトルを覚えている。『限界体験』。(フィリップ・ソレルスの評論、正しくは『エクリチュールと限界体験』)冒頭部を読んでがっかりした。そこでは、形而上学と文学しか問題になっていなかった。


この本の執筆中ずっと、私は一方で、生徒たちの宿題を添削したり、小論文のモデルを提示したりしていた。そういう仕事で給料をもらっているからだ。そうした観念の遊びから、私は、贅沢と同じ印象を受けた。本当のこととは思えない感じ。泣きたくなる。
(P.144)

彼女はソレルスと違って、「文学」でないものを書きえているというのだろうか。これも所詮、言葉によって書かれたテクストに過ぎないではないか。すると、また視界は反転する。つまり、書き手を称する「私」もまたテクストなのだ、と。倫理的であろうとしたテクスト‐内-書き手は、その態度によって優れた文学的効果を生み出したものの、それが目指した「倫理」には結局到達し得なかった。その書き手とその試みこそがテクストであるならば、テクストの全き外部にいる作者=アニー・エルノーは、「書く行為において、倫理的であろうとした女性作家の試みの挫折」を描いたテクスト‐外‐書き手として、きわめて倫理的でありえたと言う事もできるのだ。
おそらく、倫理的主体としての「作者」をどこに求めるか、などということはきわめて恣意的である。もちろん、作者のインタビューやエッセイ、対談、評論、他の作品を読むことによって、あるいは実際に会ってみることで、作者像が確定されていくこともありうるだろう。そして、その作者像は、読まれるテクストに影響を与えずにはおかないだろう。しかし、それらの作者像もまたある種のテクストであるとする見方も可能である以上、やはり恣意性を免れることはない。(「作者」のテクスト性、テクスト間の影響関係についてはジェラール・ジュネット『パランプセスト―第二次の文学』に詳しいと思われる)それは、テクストやその作者に、倫理を求めることが無意味だ、ということではない。むしろ、書く行為においては誰もが、倫理から自由ではあり得ないことを意味するのだ。
書くことにおける倫理を問い直す契機を与えうる、その可能性においては、「場所」が優れて希有な小説であることは疑いないだろう。

参考文献

バルト,R 石井洋二郎訳 『小説の準備』 筑摩書房 2006年
ブランショ,M 粟津則雄・出口裕弘訳 『文学空間』 現代思潮新社 1962年
ルノー,A 堀茂樹訳 『場所』 早川書房 1993年