信頼できる人

知に働けば蔵が建つ

知に働けば蔵が建つ

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

子どもは判ってくれない

子どもは判ってくれない

ためらいの倫理学―戦争・性・物語

ためらいの倫理学―戦争・性・物語

内田樹は、僕の思考の重要な参照点になるかもしれない、と思う。「タツルだったらどう考えるかな」とか、「タツルはなんて言ってたっけな」というような。彼の文章を読み続けることで、やがては彼のように考えられるようになれるだろうか。
最近本を読むときには、気に入ったり、考えさせられる箇所は筆写するようにしているのだけど、あんまりそういう部分が多いので、困ってしまった。その中でも短くて引用しやすい文章をふたつ。

「わたしだけ固有の、共有されえぬ思念や感覚」と思いなしていたものが、実は、「みんなそうなんだよ」ということがわかるときに、人間はおのれの唯一無二性とおのれの普遍性を「同時」に経験する。わたしたちがコミュニケーションのために膨大なリソースを投じるのは、畢竟、その経験を求めてのことなのである。

「メッセージを発信する」という行為において最優先に配慮すべきことは…「言葉そのものが発話者において首尾一貫しており、論理的に厳正である」ことよりも、「その言葉が聞き手に届いて、そこから何かが始まる」ことである


ところで、僕は小説を書こうと思う。3年以内に一つ。自分のために。今のところ、それ以外の表現行為には興味がもてない。何でこんなことを思ったかというと、いろいろと理由はあるのだけど、その一つとして、

未来のわたしについて「…できない」と断言することは、私自身の中の他者性に対する陵辱でなくてなんであろう

時間とは、…このこの過去と未来に広がる未決性のことである私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである。

というタツルの言葉に触発されたということがある。でも、同時に、別の箇所でタツルが引いている村上龍の「才能とは自分が何が出来るか、ではなくて、なにが出来ないかを把握できる能力のことだ」(というようなニュアンスの)言葉も忘れないようにしておきたい。