「セバスチャン・サルガド アフリカ」展から、未来へ

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1.はじめに セバスチャン・サルガドとの再会


『他者の苦痛へのまなざし』。あまりに直截的なタイトルに目がとまり、その黄色い本を図書館の書棚から引き抜いたのは、4年前の春のことだった。
当時、私は「フォト・ジャーナリズム」と呼ばれる表現・伝達行為に関心を抱いていた。自らの未来をそこに賭けるべきではないかとさえ考えていた。さまざまな写真集から私は一つの訴えを聞き取った。世界は誤りに満ちている。よって世界は変革されるべきなのだ。そしてあなたも「誤り」の一部である以上、変革の主体たらねばならない、と。
私は自分の無知に驚き、知ることを欲した。なぜこのようなことが起こりうるのか、それを止める手立てはありうるのか。しかし、世界の否定的な側面を新たに知り続けることは私を萎えさせた。否定的な世界の前で、少なくともその瞬間、すべての写真は無力だった。それどころか、否定の主体は写真それ自体なのではないか、という疑問さえ生れてきた。
だから、セバスチャン・サルガドとの出会いは驚愕に満ちたものだった。なぜなら彼が写し取った世界は全て美しかったから。広大な砂漠を渇いた風と巻き上げられる砂粒から身を守るため、布で前身を包み込み、絶望の表情を浮かべながら力なく歩く家族の姿、劣悪な環境での労働を強いられる真っ黒な炭鉱労働者たちの顔、大樹の木陰に束の間憩う難民の群れ。「誤り」の象徴であるはずの被抑圧者たちは、例外なく、美しかった。
だが、それはあくまでも写真だった。その向こう側にいるはずの人々にとって、私が彼らに美しさを見てとることが何の足しになろう。私の疑問は方向を見失った。
そんな宙吊り状態に終止符を打ったのがソンタグの例の著書だったのだ。正確に言えば、私がそのように利用しただけ、つまり私は、出口の見えない問題に向き合うことからの逃亡を正当化する根拠を欲していたのだ。
しかし、私に正当化以外の何が出来るというのか。「問題に向き合うこと」もまた正当化のひとつのパターンに過ぎないのではないか。生れてきてしまったこと、いま生きてしまっていること、これからも生きてしまうだろうことについての正当化。「正当化」などと厳めしい言葉を用いる必然性もないだろう。簡単に言い換えれば言い訳だ。生きることは言い訳の連続なのだ。
私は24年もそれを続けてきたことになる。24。その過不足のなさは運動よりも停止、始まりよりも終わりにふさわしい数字だ。もちろんそんな印象はほとんど虚構に違いない。だが虚構以外の何が私を支えうるのだろうか?言い訳を意味や価値に変換しうる虚構のほかに。
私はセバスチャン・サルガドの名と3か月前に再会した。写真史を概観する作業の中でだった*1。直後、翌月末からの展覧会開催を知り、過去に逃げ出した問題へと立ち戻り、もう一度闘う機会を得たことを感じたのだった。
以下は私が写真展から考えたこと、サルガドの写真についての試論である。これもまた私を支える虚構たるべく書かれたものにすぎない。しかし、同時に私は信じ、願ってもいるのだ。サルガドの写真が虚構を超えた真実を含んでいることを。私の文章がその真実にわずかであれ触れ得ることを。そして、それがこれを読んだあなたに伝わってくれることを。


2.「スーザン・ソンタグ」を救うために


スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』は、ヴァージニア・ウルフ『三ギニー』についての論述から開始される。
『三ギニー』は、「ロンドンのある高名な弁護士」からの手紙による、「どうしたら私たちは戦争を未然に防げると考えますか」という問いに対する、三年越しの返答として書かれている。
ウルフはまず、問いに含まれる「私たち」に疑いを挟む。「私」は女性であり、「あなた」は男性です。そして「歴史上、女性の銃に撃たれて倒れた人間はほとんどいません。小鳥や獣の大部分は私たちではなく、あなた方によって殺されたのです。つまり、私たちが共に参加していない事柄に判断を下すことは難しいのです」(ウルフ,2006,8)。「私たち」は女性、「あなたたち」は男性。両者が同じ「私たち」としてひとつの問いを思考することは可能なのか?ウルフはそこで写真を提示する。スペイン内乱の写真。

これらは見て気持ちのよい写真ではありません。たいがいは死体の写真ですから。(…)それはひどく手足を切断されているので(…)豚の死体かと見えます。しかし、あそこにあるのは死んだ子供たちであることは確かですし、こちらは家の一部であることに間違いありません。爆弾が家の横腹に穴を開けたので、おそらく居間だった所に、いまも鳥籠がぶら下がっています。でも家の残りの部分は、まるで中空にぶら下がっているスピリキン〔木片などを積み上げ、他を動かさずにとるゲーム〕のようです。
(ウルフ,2006,14)


さらにウルフはこう続ける。

私たちの背後の伝統がどんなに違っていても、私たちの感覚は同じです。そしてこれらの写真は狂暴なものです。サー、あなたはそれらを「恐怖と嫌悪」と名付けていらっしゃいます。私たちもまた、それらを恐怖と嫌悪と呼びます。そして同じ言葉が口をついて出てきます。戦争は忌まわしい、野蛮だ、万難を排して戦争は止められなければならない、とあなたはおっしゃいます。私たちはその言葉をおうむ返しにくり返しています。戦争は忌まわしい、野蛮だ、戦争は止められなければならない、と。なぜかといえば、とうとう今、私たちは同じ写真を見つめ、あなたと共に同じ死体を、同じ破壊された家を見ているからです。
(ウルフ、2006,15)

「同じ写真」を前に、「私たち」が可能になる。戦争に反対する「私たち」が。ウルフはそう述べている。ソンタグが指摘するのはまさにそこだ。しかし彼女に言われるまでもなく、現代を生きる「私たち」にとってそんなことは自明ではないか?戦争にはさまざまな立場があり、それによって見方が異なるということ。写真もまた然り。それは時に憎悪を駆り立て、戦争の駆動力となるということ。仮に、戦争反対へのコンセンサスが形成されたとしても、それは即ち戦争抑止にはつながらないということ。それらは「私たち」にとって自明なはずだ。
しかし、ソンタグはそのような「私たち」さえ糾弾するだろう。彼女はこう述べるのだから。

他者の苦痛へのまなざしが主題であるかぎり、「われわれ」ということばは自明のものとして使われてはならない。
(ソンタグ,2003,5)

ソンタグは、「われわれ」を常に拡散させるかのように、さまざまな戦争におけるまなざしの表現とその受容のされ方を次から次へと書き連ねる。
アルジャジーラによるイスラエル軍の破壊行為の放映、ニューヨーク・タイムズ掲載のタリバン負傷兵の写真、エルンスト・フリードリッヒ編著『戦争に反対する戦争』、「市民が見つめた9.11写真展」、ロバート・キャパが撮ったスペイン内戦の写真、ユージン・スミス水俣』、ゴヤ『戦争の惨禍』、クリミヤ戦争南北戦争サイゴンの路上でヴェトコンの捕虜が射殺される瞬間、ビアフラ、ルワンダシエラレオネ
それゆえ、論点も必然的に多様化する。どれも無視できない重要なものばかりだ。
「流血」の商業的価値、苦しみの図像へ向かう欲求、写真に撮られる戦争・撮られない戦争、撮影のための演出、影響力を恐れた政府による検閲、異国趣味、対象の美化・聖化、イメージの衝撃に対する慣れ、集団的記憶なるフィクション、無力感、シニシズム、無関心。
細分化して挙げていけばきりがない。しかし、核にある問いは明確だ。すなわち、写真は世界をよい方向へと導きうるのか?そのために写真は、それに対する私たちの態度はどうあるべきなのか?この二つの問いである。
彼女の答えは、それまでの論述の正確さ・鋭さに比べひどく弱々しいものだ。それは彼女自身の、答えに対する受け入れがたさを感じさせる。(他者の苦痛を対象とした)写真の肯定的作用はひとつ、「われわれが他の人々とともに住むこの世界に、人間の悪がどれほどの苦しみを引き起こしているかを意識し、その意識を拡大させ」ること(ソンタグ,2003,114)。すなわち、知ることへのいざないである。しかし、このような作用の対象となる受容者は「道徳的・心理的に成人」であることが前提とされる。なんと陳腐なフィクションだろうか!さらに彼女は根拠なくこう付け加える。

一歩退いて考えることは何ら間違っていない。何人かの賢者のことばをパラフレーズするならば、「誰かを殴るという行為はその行為について考えることと両立しない」
ソンタグ,2003,119)


引用した文言だけについてその正誤を判断することなどもちろんできない。しかし、彼女の論述の文脈の中ではあまりに唐突であり、無理があることは否めない。ソンタグほど明晰な書き手が、あきらかな無理を放置するわけがない。実際、彼女は数ページ後のこの本の結末において、知の可能性すら否定してしまうのだ。そのとき彼女の目の前におかれているのは、ジェフ・ウォールの写真作品「戦死した兵士たちは語る(1968年冬、アフガニスタンのモコル付近における赤軍偵察の待ち伏せ攻撃のあとの幻影)」*2である。この想像的写真は、「13人の死んだロシア兵」を写している。(彼らは現実には生きた人間だろう。背景はセットである。)兵士たちは、頭蓋骨を割られたり、手がちぎれたりしているが、彼らの一部は笑いながら会話を交わしている様子だ。
このような作品についての描写の後、彼女はこう述べる。そこでは彼女自身が逃れることのできない絶対的「われわれ」が定義されている。

死者たちは生きている者たちにたいして、自分の命を奪った者にたいして、目撃者たちにたいして、またわれわれにたいして、まったく関心がない。彼らがわれわれのまなざしを求める必要がどこにあろう。彼らはわれわれに何を言う必要があろう。「われわれ」――この「われわれ」とはこの死者たちの体験のようなものを何も体験したことのない全ての人間である。――は理解しない。われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったか、本当には想像することができない。戦争がいかに恐ろしいか、どれほどの地獄であるか、その地獄がいかに平常となるか、想像できない。あなたたちには理解できない。あなたたちには想像できない。戦火の中に身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸運にも逃れた人々、そのような兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者は断固としてそう感じる。その通りだと、言わねばならない。
ソンタグ,2003,126-127)

ほとんど彼女は絶望している。写真にたいして、知にたいして、自分自身に対して。このような結論に至ったがゆえに二つ目の問いに肯定的な形で答えることはなかった。だが、そのことはソンタグの著書の価値をいささかも減ずることはない。なぜなら、彼女の博識に支えられた思考の歩みは徹頭徹尾真摯なものであり、私たち読者はその先からはじめることができるからだ。ならば早速一歩目を踏み出そう。私は彼女によって否定された芸術的・美的な写真を肯定に転ずることから始めようと思う。
それは無根拠なわけではない。彼女が絶望を強いられたのは他ならぬ「芸術的」写真の前であるからだ。そして、先に絶対的とした「われわれ」からは、どこか戦場に行ってしまえば即時に抜け出せるはずであり、彼女にそれが物理的に不可能だったとは思えないからだ。おそらく彼女は信じているのだ。写真の、言葉の、知の、芸術の間接性を。よって、目指すべきはその「信」の救済であるだろう。
これからその可能性を探るのはセバスチャン・サルガドである。彼女は名指しでサルガドを批判している。引用しよう。

世界の悲惨(…)を撮り続けている一人の写真家、セバスチャン・サルガドは、美しいものは偽物だというこの新たなキャンペーンの主たる標的になってきた。(…)問題は、写真が無力な人々、無力な状態へと追いやられた人々に焦点を定めているところにある。無力な人々がキャプションの中で名前を与えられていないのは意味深長である。被写体に名前を付さない肖像は、意図的ではないにせよ、有名人崇拝の文化に(…)加担している。有名な人々にのみ名前を付与することはその他の人々を、職業集団、民族集団、悲惨な状況にある集団の代表例という存在に格下げする。三十九ヶ国で撮影されたサルガドの移住写真は、移住という一つの見出しのもとに、原因も種類も異なるあまたの悲惨をひとまとめにしている。グローバルに捉えた苦しみを大きく立ちはだからせることは、もっと「関心」をもたねばならない、という気持ちを人々の中にかきたてるかもしれないそれは同時に、苦しみや不幸はあまりに巨大で、あまりに根が深く、あまりに壮大なので、地域的な政治的介入によってそれを変えることは不可能だと、人々に感じさせる。このような大きな規模で捉えられた被写体にたいしては、同情は的を失い、抽象的なものとなる。だがすべての政治は、歴史がすべてそうであるように、具体的なものである。
ソンタグ,2003,76-77)

これもまた重要な論点を含んでいる。対象の選択、無名化、抽象化、鑑賞者に与える無力感*3。しかし、具体的な批判点については後に検討する。まずは足場を固めよう。写真と知の無力性についての反論が先決だ。依拠するのはジョルジュ・ディディ・ユベルマンの著書『イメージ、それでもなお』である。ソンタグを絶望から救うための本としてこれほどふさわしいタイトルはあり得まい。だが、果たしてユベルマンは、彼女を救えるのだろうか?


3.イメージ、それでもなお、あるいは、すべてに抗して


アウシュヴィッツ絶滅収容所では「ゾンダーコマンドー」、囚人たちの「特別部隊」が結成されていた。私はこの「部隊」の存在を知らずに生きてきた。無知が恥辱であること、自己の無知に対する憤りを感じたのはおそらく四年ぶりのことだろう。彼ら、ゾンダーコマンドーは数ヶ月たつと廃絶され、新たなメンバーに入れ替わる。「前任者の死体を焼くことが次の部隊にとっての通過儀礼だった」。彼らの任務とは何か?

彼らの同類の死を数千単位で処理すること。最後まで嘘をつきとおすのを強いられること(犠牲者たちに彼らの運命を伝えようとしたゾンダーコマンドーのメンバーは、生きたまま焼却場の火に投げ込まれ、友人たちがその執行に立ち会わなければならなかった)。自分自身の運命を知りつつ何も語らないこと。男たち、女たち、子供たちがガス室へ入るのを見届けること。叫び声や壁を打ち鳴らす音、最後のうめきを耳にすること。続いて、扉を開けると崩れ落ちてくる「筆舌に尽くしがたい人間の山積み」――肉でできた、彼らの肉、われわれ自身の肉でできた、「玄武岩の柱」――を、まるごと引き受けること。死体をひとつひとつ引っぱり出し、(少なくともナチスが脱衣所という解決策を思いつく以前は)服を脱がせること。すべての血と体液、積み重なった血膿を、放水で洗い流すこと。金歯を「帝国」の戦利品として取り外すこと。死体を焼却棟の大かまどにくべること。非人間的なリズムを保ち続けること。
ユベルマン,2006,11)


記述は引用した部分でまだ半分だ。私たちは言いたくなるかもしれない。ソンタグに倣って。われわれは理解しない。知らない。想像できない、と。だがそれは彼らに対する最悪の裏切りであると、言わねばならない。なぜなら、彼らの唯一の希望はわたしたちに想像させることだったのだから。ゾンダーコマンドーの存在は完全に隠されていた。任務も極秘のものだった。それゆえ、逃走や反抗の可能性はほぼゼロだった。彼らに残された最後の人間的な振る舞い、それこそがイメージの発信だったのだ。1944年、ポーランドレジスタンスの命を受け、ひとりの民間労働者がゾンダーコマンドーのメンバーたちにカメラを渡すことに成功した。彼らは厳密な逆監視体制を敷き、四枚のイメージがもぎ取られた。

フィルムの断片はカメラから取り出され、、中央収容所へ戻され、SS用食堂の職員へレナ・ダントンの手により歯磨き粉のチューブに隠されて、アウシュヴィッツから持ち出されることだろう。その少し後の一九四四年九月四日、フィルムはユゼフ・ツィランキェーヴィチとスタニスワフ・クウォジンスキというふたりの政治犯によるメモを添えられ、クラクフポーランドレジスタンスのもとにたどりつくことになる。
ユベルマン,2006,21)

ユベルマンが、「イメージ、それでもなお」と語るのはこの四枚のイメージゆえである。写されているのは、ガス殺された死体の野外焼却溝での処理の様子とガス室へと追いやられる女性たちの姿だ。これらの写真は「語りえぬもの」、「想像・表象不可能性」などといった一見哲学的な言葉で、アウシュヴィッツについて語ることを恥じ入らせるに十分だろう。
しかし、結局のところこの四枚の写真を前に私たちは何ができるというのか?想像すること。それは可能だと認めよう。だが、その営みは新たに「アウシュヴィッツ」と言う物語を形成するだけではないのか?そうではない。ゾンダーコマンドーたちによる四枚の写真が証言しているのは「アウシュヴィッツの真実」などという理解には還元されないからだ。つまり、それらが証言しているのは、イメージが「すべてに抗するもの」だ、ということなのだ。
そもそも、「ユダヤ人の絶滅」という観念が思考可能になるのはなぜだろうか。それはユダヤ人の「すべて」を想定することによってだろう。これまでアウシュヴィッツが思考不可能・想像不可能・表象不可能などと考えられてきたのもまた、その思考・想像・表象が「すべて」を志向していたからではないか。すべてか無かの二者択一。表象不可能性の唯一の表象として、クロード・ランズマンショアー』が扱われてしまうのはそれゆえなのだ。
だが、イメージが「すべてに抗するもの」でありうるのは、四枚の写真がゾンダーコマンドーたちによって、絶望の淵からもぎ取られた、という物語にのみ根拠を置くのではない。それはイメージの本質なのだ。
イメージ。極めて多義的な言葉だ。しかし、ここでは簡単に定義してみようと思う。イメージとは、「何かを志向、あるいは指し示しながら、その何かそのものではない、想像的な感覚によって形成されるもの」である、と。例えば誰かのイメージ。表情の変化、声の抑揚、肌のぬくもり、髪のにおい、などと言ってみたとき、それらは誰かそのものではない。にもかかわらず、その誰かを確かに志向し、指し示しているのではないか。そしてそれは、感覚そのものではないが、感覚に似た作用=想像によって作られているはずだ。
この定義に基づけば、イメージはその二重性によって特徴付けられるだろう。「何かではない」という否定。「何かへ向かう」という肯定。そしてこの二重性はけっして静態的なものではありえない。ユベルマンは次のように表現している。

言語記号と同様に、イメージは自らのやり方によって――すべての問題はそこにある――、ある効果をその否定とともに生み出すのだ。イメージは代わる代わる、フェティッシュでありかつ事実、美の伝道者でありかつ耐えがたきものの場、慰めでありかつ慰めようのないものである。イメージは純粋な幻想でもなければ、全き真理でもなく、ヴェールとその裂け目をともに揺さぶる弁証法的な鼓動である。
ユベルマン,2006,105−106)

イメージの二重性は「弁証法的な鼓動」を生み出す。この運動性、捉えがたさこそがイメージが「すべてに抗するもの」である所以なのだ。つまり、「すべて」に抗するのは、写真の複数性(4枚)や断片性だけではないのだ。「ヴェール」とは、イメージが何かそのものであるかのように装う覆いであり、「裂け目」とはその覆いを突き抜けて何かそのものへと向かう通路のことである。さらにユベルマンはこのようにも言っている。

「あらゆる言葉が動きを止め、あらゆるカテゴリーが頓挫するところ」*4――反駁可能であれ、諸々の命題が文字通り不意をつかれるところ――においてこそ、ひとつのイメージが出現しうるのだ。フェティッシュのイメージ=ヴェールではなく、現実の閃光を噴出するがままにさせるイメージ=裂け目である。(…)われわれはもはや相互了解的な経験の領域にではなく、諸々のテリトリーすなわち限界の混乱を生み出す、引き裂くような体験のなかに位置している。
ユベルマン,2006,107)

 

ユベルマンが主張するのは、イメージはその出現の瞬間においては裂け目であるということ。その場は同定不可能なものであるということ。そして、その体験はイメージと私とのあいだに均質な空間を作り上げることのない、引き裂くようなものである、ということだ。私がサルガドの作品を前に感じたものこそまさに「引き裂き」である。だが、まだサルガドについては語らない。ユベルマン自身が述べているように、彼がここでラカンを参照しつつ語っているのは心的イメージについてであり、写真についてではないからだ。
写真イメージはいかなる点において心的イメージと区別されるのか?まずそれはフィルムや印画紙などの物質と不可分である。さらに、先に定義したイメージの作用がカメラという光学装置、現像、焼付けという化学的操作によって代理されてしまっているのだ。この二つの差異によってイメージの二重性は複雑化する。
イメージは何かを志向する、と書いた。しかし、写真においては、もはやイメージは志向しない。カメラと写真の指示対象はかつて現実に対面しており、二重性によって、すなわちその対象が「何かではない」という否定性と表裏一体であることによって特徴付けられるような、イメージ特有の志向性はそこにはない。よって、写真イメージに対する志向は常に挫折を強いられる。にもかかわらず、対象は存在の強度を持って現前するように感じられる。それは写真が物質として現前することと混同されるからなのか?もちろんそれもあるだろうが、それだけには還元されない。ジャン=リュック・ナンシーの術語を用いて言うならば、写真イメージは志向が挫折する「内奥」へと「退隠」することによって私と区別され、その区別はひとつの存在を内包する「世界」を告げ知らせる*5。しかし、写真イメージに「内部」はなく、すべては平面化され、前面化されている。それゆえ「内奥」は区別を保持したまま、すなわちその内密性を保ったまま、露呈される。そしてこの内密性こそが「すべてに抗する」ものなのだ。*6このとき写真イメージと私との関係は極めて逆説的なものである。私は指示対象に「接触しない触れ方によってのみ触れうる」のだ。つまり、その接触は感覚的な次元を超え出ている。
そして、この逆説的な接触可能性こそ、写真イメージが私を欲望させるものなのだ。さらに、この欲望は知ることへと向かう。 
そもそもソンタグは、『他者の苦痛へのまなざし』ではじめて絶望したのではなかった。1977年に出版された『写真論』の一節。

根源的な恐怖の写真目録との最初の出会いというものは、一種の啓示、原型としての現代の啓示、否定の直覚である。私にとってそれは、1945年7月、サンタ・モニカの本屋で偶然見つけたベルゲン=ベルゼンとダッハウの写真であった。写真であろうと実人生であろうと、かつて私が眼にしたものでそれほど鋭く、深く、瞬時に、私を切りつけたものはなかった。それらの写真を見る以前(私は十二歳だった)と見たあとで、私の人生は二つに分けられるといってもおかしくないだろう。それらを見てなんの役に立ったのか。それらはただの写真で、私がろくに聞いたこともなければ自分でどうすることもできない事件、想像もつかない、和らげようもない苦悩を表していた。それらの写真を見たとき、私のなかでなにかが壊れた。ある限界に達したのだ。恐怖ばかりではなかった。私は癒しがたい悲しみと心の傷を受けたが、私の感情の一部は緊張しはじめた。なにかが死んだ。なにかがいまも泣いている。
ソンタグ,1979,27)

彼女は間違いなくここから知り始めたのだと思う。つまり、無力感はひとの歩みを不可能にするばかりではない。絶望は終わりではない。知ることは、常にそこから開始されるべきなのだ。なぜならそれは無際限な営みなのだから。

知ろうとする者にとって、とりわけいかにしてかを知ろうとする者にとって、知は奇跡も猶予も与えてはくれない。それは終わりなき知である。出来事への際限なきアプローチであって曇りなき確信とともに出来事を掌握することではない。「イエス」または「ノー」、「すべてを知っている」または「否定する」、啓示またはヴェールなどのようなものではないのだ。
ユベルマン,2006,111)


私はサルガドの作品について語り始めようと思う。十分とはいえないまでも、彼の作品を肯定するための用意は整ったと思われるから。


4.引き裂き・起源・希望


私がサルガドの作品群を前に体験したのは「引き裂き」だと書いた。それは写真イメージの持つ特質によって引き起こされたものだ。だがその力は、サルガド作品においては他に類を見ない、圧倒的なものとして示されている。
なぜ、サルガドのもたらす「引き裂き」は強力なのか。それは彼の作品がいくつもの二重性を含んでいるからだろう。そしてその二重性は、写真イメージが本来的に持つそれを倍加するのだ。
作品のおそらく誰も見過ごすことのない特徴に、画面に付与された「聖性」がある。聖性はそれ自体で私を引き裂く。聖なるものとは、触れることのできないものなのだから。同時に聖性は「ヴェール」として作用する。光の描写は天空を指し示し、その照明は祝福を感じさせる。飢餓、病、失明、嘆き、彷徨のイメージは苦難の物語を呼び起こす。神によって選ばれしものたちのスティグマ。しかし、これは絵画ではない。写真の指示対象は現実に存在する。サルガドの作品は、この実在性も同時に私に叩きつける。光と影、白と黒の鋭いコントラストは、対象を私自身の身体よりも強く現前させる。そして私は感覚する。悲惨を被っているのは「この」身体なのだ、と。そのとき二つの引き裂きが私を襲う。写真の作品性と対象の実在性。私の身体と彼らの身体。だが、彼らの身体はほとんど彫刻のようでさえある。更なる作品化。実在性は退隠する。しかし私の信憑がそれを追いかける。「彼らは実在する」。すなわち、この信憑は彼らの実在を希求する。それは彼らを知ることへと向かうだろう。
さらにもうひとつ、大きなヴェールが作品を覆う。アフリカ。人類の起源の物語。火山、砂丘、マウンテンゴリラの写真は、人類史を越える、生命の歴史という虚構を創造する。私はそれに圧倒される。しかし、同時にソンタグの指摘が脳裏をよぎる。その壮大な物語の中で、人々は無名化され抽象化されてはいないだろうか?その指摘自体に異論はない。だがしかし、その壮大さを前に人々は無力ではない。確かに、人間の存在など無関係にある自然環境、彼らを人間としてあつかわない政治的な環境に対して彼らは無力なのかもしれない。もちろん、そのことを無視してはならない。それらは私たちのそれと繋がっているのだから。けれどサルガドが描くのは、圧倒的な自然環境を前にそれに対立することなく対峙し、その中でともに生きていくのをやめない者たちの姿である。彼らはショーレムの詠う天使のように生きはしないのだ*7。翼のないことは不幸ではない。彼らは私にそう告げる。写真イメージを超えて実在を主張する彼らの身体が。それはサルガドが描く物語にも拮抗する。すなわち物語の裂け目となる。
巨大な角を含めれば、成人男性の背丈をゆうに越える牛たちの群れ。熱から発する湯気なのか、火が焚かれているのか、それとも霧なのか、白い靄が画面を覆う。その光景は私たちの知る「歴史」に包摂されない時間が、生があることを告げる。サルガドの描き出した「起源」の物語は歴史を作り上げることがないだろう。そこは常に起源であり続けるからだ。だがこの起源は私たちの歴史に再考を迫るだろう。とりわけそこに含まれる進歩の観念に対して。ベンヤミンが言ったように「歴史のなかで人類が進歩するという観念は、歴史が均質で空虚な時間をたどって連続的に進行するという観念と、切り離すことができない」(ベンヤミン,1995,658-659)からであり、起源は常に異質な「現在時」たりうるからだ。この均質な時間に裂け目を入れる「現在時」という性質は瞬間でしかありえない写真の特性でもあるのではないか。「歴史」という全体、「すべて」に抗する現在としての起源、すなわち始まりのとき。私がサルガドから受け取ったのは希望だ。「すべてに抗して」始めることが可能だということ。希望とはその始まりの可能性のことではないだろうか。



この文章は展覧会に同行してくれた友人の存在に動機づけられている。大げさな気もするがここに記して感謝したい。



参考文献

ウルフ,V 出淵敬子訳 『三ギニー 戦争と女性』 みすず書房 2006年
サルガード,S 今福龍太訳 『人間の大地 労働』 岩波書店 1994年
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スミス,W-E スミス,A-M 中尾ハジメ訳 『水俣』 三一書房 1982年
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        北条文緒訳 『他者の苦痛へのまなざし』 みすず書房 2003年
ティスロン,S 青山勝訳 『明るい部屋の謎』 人文書院 2001年
ディディ=ユベルマン,G 橋本一径訳 『イメージ、それでもなお』 平凡社 2006年
デューブ,T他 清宮真理訳 『ジェフ・ウォール』 ファイドン・プレス 2006年
ナンシー,J-L  西山達也・大道寺玲央訳 『イメージの奥底で』 以文社 2006年
ハイデッガー,M 関口浩訳 『芸術作品の根源』 平凡社 2008年
バルト,R 花輪光訳 『明るい部屋』 みすず書房 1985年
フリードリッヒ,E編 坪井主税・ダンジェン,P訳編 『戦争に反対する戦争』 龍渓書舎 1988年
フルッサー,V  深川雅文訳 『写真の哲学のために』 勁草書房 1999年
ベンヤミン,W 浅井健二郎編訳 久保哲司訳 『ベンヤミン・コレクション?』 筑摩書房 1995年
ボードリヤール,J 梅宮典子訳 『消滅の技法』 PARCO出版 1997年
Salgado,S ( introduction par Caujolle,C) 『Photo poche;55』 Centre national de la photographie 1997  
荒金直人 『写真の存在論』 慶應義塾大学出版会 2009年
飯沢耕太郎 『同時代写真』 未来社 1999年
伊藤俊治 『20世紀写真史』 筑摩書房 1988年
梅津禎三他編 『「セバスチャン・サルガド アフリカ」展図録』 朝日新聞社 2009年
岡真理 『アラブ、祈りとしての文学』 みすず書房 2008年
近藤耕人 管啓次郎編 『写真との対話』 国書刊行会 2005年
多木浩二 『写真の誘惑』 岩波書店 1990年
西井一夫 「世界に関与すること」 『現代の眼 458』 近代美術協会 1993年
深川雅文 「サルガド―写真の大地性」 『現代の眼 458』 近代美術協会 1993年

*1:『写真との対話』、20ページ、畠山直哉へのインタビューから。彼の指摘は非常に的確。サルガド作品の二側面をしっかり理解していると思う。……『セバスチャン・サルガードですか?先日の東急文化村での展覧会には僕は行きませんでしたが、彼は写真のある流れの先端にいるのかもしれません。彼の写真を前にシニカルになることはできない、そういう圧倒的な感覚があります。「報道写真が果たして世界を変えられるのだろうか」などという言い方を封殺してしまう凄みがある。サルガードに比べると、僕の尊敬するカルティエブレッソンの写真が趣味性の高いものに見えてしまうことさえあります。アイロニーといった距離や迂回がない、直球勝負の人でしょう。画面の造形的な感覚は、写真史や絵画史をすべて消化しているといった古典的なものですし、あまりに画面の完成度が高いのでそういうものを好まない人からとやかくいわれることがありますが、あんなに活動的で知的で冷静な写真家が存在すること自体がぼくらにとって恩寵ではありませんか。ただ、とられた人間がみなロダンの彫刻みたいに見えることはありますけど。世界を「よきもの」に変えられたら、という希望が写真にはこめられていると思うんだけど、同時に何か素晴らしい手つきで整理している。そういう、なんか酷な感じもある。整理して、ものすごく大きなメモリアルを作っているような。でもそのうち、ああいう作品がドクメンタなんかに出てきたりするようになるのかもしれませんね。シニカルな美術の世界からは毛嫌いされていたようなものが、現代美術として成立してくる可能性がありそうな気がする。もちろん「キッチュ」を超えたものとして真面目にあつかわれる、という意味ですよ。』……102から103ページ、港千尋もインタビューでサルガドに触れている。「好きだ」といっているだけだが僕にとっては大きな発見だった。

*2:ソンタグが言及しているウォールの作品は『ジェフ・ウォール』(ファイドン・プレス,2006年)の38-39ページの見開きにて確認できる。

*3:撮影対象をその無名化あるいは有名化に抗い、その固有名性において捉えつづけるフォト・ジャーナリストに長倉洋海がいる。そのことは彼の写真集タイトルを並べるだけで明らかだ。『ザビット一家、家を建てる』、『へスースとフランシスコ―エル・サルバドル内戦を生きぬいて』、『マスード―愛しの大地アフガン』。コソヴォ、エル・サルバドル、アフガニスタン。彼は世界各地で長期取材を行い、「戦地」としてしか表象されない場所に生きる人々を写してきた。とりわけマスードにたいしては1983年から、マスードがジャーナリストを装ったものたちによる自爆テロで死去する前年、2000年までの17年間にわたって取材を続けた。彼については『獅子よ瞑れ―アフガン1980−2002』(河出書房新社、2002年)に最も詳しい記述がある。写真、エピソードともに十分にマスードの魅力を伝える好著である。

*4:ジャック=アラン・ミレール編 ジャック・ラカン 小出浩之訳『フロイト理論と精神分析技法における自我(上)』(岩波書店,1998年)の273ページ

*5:おそらく「世界」の語にはハイデッガーからの反響を聞き取るべきだろう。だが私の使用した「世界」の語には「われわれ」という自明の共同性は含意していない。むしろ逆である。……『世界とは眼前にある数えられる、あるいは数えられない、既知の、あるいは未知の事物を単に寄せ集めたものではない。しかしまた、世界は単に想像されたすなわち眼前のものの総計に付け加えて思い描かれた枠なのではない。世界は世界となるのであり、そしてそれは、われわれが精通していると思っている把握可能なものと受容可能なものよりも一層存在的にある。(ハイデッガー,2008,65)』……世界と大地、開けと閉じ、不伏蔵と伏蔵などの区別を用いながらハイデッガーの言わんとすることはなんなのか。正直ほとんど分らないのだが、歴史あるいは民族なる語が絡んでくると危険を感じてしまう。にもかかわらずハイデッガーの書には理解すべきなにかがあることは否めない。

*6:ナンシー自身の見解はむしろ逆なのかもしれない。彼は次のように述べているからだ。……『判明なるものが不可視なのは(聖なるものは常に不可視であった)、それが諸対象とその知覚および使用の領域に属さず、諸力とその触発および伝達の領域に属するからである。イメージは不可視なものの明証性である。それは不可視なものを対象として可視化するのではなく、それを知ることへと到達するのである。明証性の知は学問知ではなく、あるひとつの全体を全体として知ることである。一撃にして(その一撃とはイメージの一撃なのだが)イメージはある意味の全体を、あるいは(こう言ってよければ)ある真理を明らかにする。 (ナンシー,2006,31−32)』……しかし、ここで言われている知が「明証性の知」であることを考慮しなければなるまい。極めて形而上学的な次元での「もの」の把握。続けて彼は「意味は無限だ」とも述べている。また同書の別の論文では、レヴィナスの全体性と無限の区別に対応する「言われたこと」と「言うこと」の区別を肯定的に採用してもいる。しかし、いまだ私にナンシーの思想を解釈しうる力はないようだ

*7:……『私の翼ははばたく用意ができている。/帰れるものなら喜んで帰りたい。/たとえ一生ここに居続けても、/私に幸福はないだろうから。』……『天使の挨拶』(抜粋)ベンヤミン「歴史の概念について」9章のエピグラフにある。訳に違いはあるが、全文は『ベンヤミンショーレム往復書簡』の125から126ページで読める。ショーレムが1933年9月19日付でベンヤミンに送った手紙に付されたものである。