音楽はわからない

The Eraser

The Eraser

「極限的に直接的なコミュニケーション」(大澤真幸)。ビートは脳みそに直接入力。身体を超えたトム。彼の声は現実の空間には響かない。ともすると、あちら側へ行ってしまいそうな彼を、こちら側につなぎとめるのは何なのか。

Stadium Arcadium

Stadium Arcadium

音は身体。音楽は体と体のコミュニケーションだ。隙間を刺激する音。何と何の隙間なのか。わからないけど、ただ、隙間。彼らの音楽は彼ら以外ではありえなくて、どうしてそれが、彼ら以外の人々の歓びになりうるのか、彼らの自己満足に終わらないのかまったくわからないけれど。

感動は普遍性の確信を常に伴う。だけど、そんな普遍性にどれほどの意味があるのか。ただ、小さなサークルを、いくつも作り出すだけじゃないのか。その感動は、コミュニケーションを誘発しもするけれど、その対象を狭めはしないだろうか。そんなことを言っている僕は結局、ニヒリズムに陥るだけじゃないのか。やっぱりよくわからない。必要なのは、加藤典洋の言うように、普遍性の確信同士のぶつかり合いなのだろうけど、そんなことが起こりうる場所はどこかにあるのだろうか、ないならそれを作ることは可能なのだろうか。