くるーりくるくる

くるーりくるくる

くるーりくるくる

うわぁぁぁ
うわわぁぁぁ
なんだなんだ。え、猫の鳴き声。あ、そう。言われてみればね。あれか、発情期か。大変だな猫も。

言われてみなければ、なんなのかよくわからないのは「くるーりくるくる」と題されたこの本も同じで、小説だと言われれば、そうかも、と思うし、エッセイだと言われれば、ちょっと小説っぽいよねぐらいですむだろう。いや、仮にこれがエッセイだとして、つまり著者自身のことが書かれているとして、そもそも、松山巌がなんなのかよくわからないのだ。きっと、そういったところにとどまること、そういったものを書き続けることは恐ろしく困難だ。僕らの多くは自分が何者なのか、この世界にあってどのような位置を占めるのか、そんなことばかり考えている気がする。松山巌のようなありかたもまた、ありなのだ。そういったとたん、それはひとつのあり方として固定されてしまう。だから、松山巌のようにってのは無理。でも、ちょっと憧れるのはやむをえない。