「河岸忘日抄」ためらい続けることの肯定をめぐって

河岸忘日抄

河岸忘日抄

物語の主人公「彼」はセーヌと思しき河岸に繋留された船で生活をしている。故国日本での仕事を清算し、まったくの宙吊りとなった身分で、数年ぶりにフランスへとやってきた彼は、過去に偶然命を救ったワイン商の老人と再会し、船を住居として貸してもらうことになったのだ。燃料を抜かれ、川水の上に浮かびながらも決して移動することのできぬ船。
そこにおいて彼は、自らの、まさしく彼が住まう船のような状態をひとつの格率として肯定しようと試みる。この物語はその試みの軌跡といってもよいほどだ。それはあらゆる定義からの逃避。そしてそれはどこかで定義がなされていることを暗黙のうちに信じることの拒否でもある。例えば彼は、友人たちから「変わっていない」と茶化される。だが、「変わる」とはどういうことか。一個の生の同一性を保ちながら、そのうちで明確に差異をうがつことなど可能なのか?と彼は問う。
この物語は三人称(一元)で語られ、あらゆる文章を同じ平面に置くことによって区別を拒否しながらも、アスタリスクによって区切られた断章によって、時間の前後関係も編集される。あたかも彼が友人たちに対して、「君たちのやっていることはこういうことなんじゃないのか?」とでも問いかけるように。そして、自身はそのことに自覚的であることによって彼らよりもましなのだ、と。
もちろん、「彼」と語るのが「彼」自身なのだと断定することはできまい。しかし、それを仮説として提示するだけの根拠はあるのだ。

蒐集し、整序した人間の意図的な操作がからんでいて、真実の声なのかどうか完全な保障は与えられていない回想の数々。問題は、嘘かまことかという以前に、ひとり語りが必ずしもその人の人生を描き得ないという、考えてみればじつにあたりまえの事実のほうにある。一人称で統一された語りは、虚構の中でのみその真実を維持しうる。なにをどう語ろうと、時間の順序をどう替えようと、それがひとつの流れの中で息づいていると読み手もしくは聞き手が感じるならば、それは正真正銘の「ほんとう」に、記録や事実とは関係のない語りの地平での「ほんとう」になる。
(堀江P.162-163)

これはほとんど自身=小説について語られているように読めないだろうか。
平出隆が指摘するところの「固有名詞による遠近法」なる事態もまた、定義の拒否を表している。彼が直接関係する人物には彼自身を含めて名前がない。彼が出会うのは大家、郵便配達夫、どこからかやってくる少女。特に少女の名前は物語において重要な鍵となる箇所があるにもかかわらず、その開示は周到に避けられている。それとは対照的に小説、映画、音楽にまつわる名はブッツァーティショスタコーヴィッチ、ハンフリー・ボガートチェーホフ、飯吉光夫と枚挙に暇がない。そして大家、郵便配達夫、そして少女との関係はこれら遠くにある固有名によってもたらされるエピソードを介して紡がれていくのだ。
ほかにも「現状明細書」なるものがある。

本現状明細書はT河岸に繋留された家具つき賃貸物件S号に関する賃貸契約に伴い二部作成されたものであり、一部を貸主に、一部を占有者に手渡すものとする。その一。住居関係。サロンおよび食堂。床――チーク材の寄木、合成樹脂塗布済み。壁面――白ペンキ(艶なし)塗装。天井――チーク材、合成樹脂塗布済み。窓――チーク材、引き戸式、透明ガラス枠には合成樹脂塗布済み、八枚。(堀江P.29)

この後同程度の長さが続き、次のような文章が挿入される。「本状の作成は法規にて定められておりますが、私どもと貸主の信頼関係に基づく形式上のものとお考えください」しかしその後、いくつかの断章に分けて、おそらくは「明細書」の全てが引用される。彼がひとつずつチェックしていったことを示すように。これはほとんど「固有名」を拒否する確定記述の束のようだ。
固有名の扱いに関して唯一の例外に、ファックスで連絡を取り合う「枕木さん」がいるのだが、彼の名は線路に置かれる同名のそれや、「スリーパー」と翻訳されて、眠る人、スパイの意味へと重ねあわされる。そして固有名として唯一の人物を指示するという機能は縮小して忘れ去られ、「喩えられるもの」としてのイメージが自立し、浮遊し始めることになる。彼は、定義の暴力性を恐れると同時に、定義の不可能性をも恐怖する。しっかりと把握していたはずの人やものや言葉が唐突に見知らぬ相貌を持って現れること。彼はこの唐突さから逃れるために、確固たる定義を避け、あらかじめ換喩の無秩序な運動を先取りしているのだ。
しかし、その運動はひとつの例外を除いて収束することはない。たとえば大家との「穴」についての会話は船室の中の「樽」へとつながり、「樽」は、その形状から、口座開設担当者の胴回り、クロフツの短編「樽」、向こう岸で鳴らされる太鼓「ジャンベ」、唯一「樽」で輸送されるブルーマウンテンからガラパゴスのゾウガメへと分岐する一方、棺、椅子へと次々にずれていく。
「喩えるもの」としての起点が消失し、ただ「喩えられるものが」自己増殖していく運動と同じように、彼の自らの立場、格率をめぐる思弁もどこへも行き着かない。それはほとんど「ミュンヒハウゼンのトリレンマ*1 の「恣意的打ち切り」を避けることによって「無限背進」と「論理循環」の罠を体現している。
だが、彼が望むのはその罠に陥ることの肯定ではないのか?それがさらに否定的な問題を引き起こすことなどありうるのか?
ありうるのだ、と言っておこう。そしてそれを可能にしてしまうのは時間であり、他者なのだ、と。
クリスマスの近づくある日、船室の窓をたたく音がする。半醒半睡状態の彼が応対のためにデッキへ出ると、笑みを浮かべた男が何も言わずにカードを突き出す。そこには「よいクリスマスを ごみ収集人と道路清掃人から、心をこめて」とあった。「こいつはいかにも幼稚な詐欺だと考えた彼は、身体中の血を意識の中枢に集めて逃げの手を打ち、もみ合いになった場合に備えて武器になりそうなものの位置をとっさに確認さえした」。男は領収書を出すなどして説明し、そのうち彼も「清掃局の人に出す祝儀を今年はどうするかねえとひそひそ話をしていたことを鈍い頭で思い出し」言い値を払うことになる。しかしその後の断章で、「人を頭から疑ってかかる慎重さ」を避けてきたはずの自分に思い当たり、今は亡き妹との思い出さえ引きながら、自己に対する弁明を始める。それはすでになされた行為の肯定を目指すものであり、「無限背進」・「論理循環」ではなく「恣意的打ち切り」についての肯定なのだ。結局のところ「トリレンマ」はどこまでもトリレンマであり、定義の不可能性へととどまろうとする彼の試みはいとも容易く、突然の来訪者によって定義の暴力性へと引き戻されるのだ。
「無限背進」・「論理循環」が思弁的・抽象的であるのに対して、「恣意的打ち切り」のみが現実的な事態だといえる。つまり、現実的なものを徹底的に避けることによってしか彼の立場は肯定されえ得ないということだ。ところが、彼のトリレンマはひとつの出来事によってまたもあっけなく終結する。
先に、換喩の運動はひとつの例外において終結する、と書いた。それは世界においてただひとつ確実に現実的なもの「死」である。定義などできないはずのものが変えようのない限界を与えられてしまうこと。それはもはや「恣意的」などではない。
彼以上に自己肯定の言説にまみれた友人が全き外部へと向かった今、彼も内側にとどまり続けることはできなかった。「内側」を何一つ変えることができなくとも、外部への接続方法を変えることによって世界は変わりうるのだ、ということを「死」によって垣間見た外部によって彼は知ったのだろう。物語の終わりに彼は決して渡るまいと思っていた向こう岸へと向かい、ジャンベを打ち鳴らす男へと近づいていく。そこにおいても彼は、それまでと同じように自らが行っている、あるいは行おうとしていることについての理由付けを性懲りもなく繰り返すのだが、その先が未確定であることには変わりがない。なぜなら、それ以上物語は語られていないからだ。その先を知る語り手はもはや存在しない。彼は時間と他者をその不可欠な要素とするコミュニケーションに身を投じることで、自らの「その先」をそのつど語り続けていくしかないのだ。

参考文献

馬場靖雄 『ルーマンの社会理論』勁草書房2001年
堀江敏幸『河岸忘日抄』新潮社 2005年
大澤真幸 『恋愛の不可能性について』 ちくま学芸文庫 2005年
『新潮』2005年6月号

*1:ミュンヒハウゼンのトリレンマ」(岩波哲学・思想事典より)知識の〈基礎づけ〉の試みについて、それがアポリアに陥らざるをえないとして、そのアポリアの状況を指示するためにH.アルバートが「批判的理性論考」(1976)において、ドイツの民話上の人物ミュンヒハウゼン男爵が解決したと「ほらをふいた」問題に〈基礎づけ〉の問題状況を重ねて導入した言い回し。「ほらふき男爵」のトリレンマと邦訳されることもある。なお、K.ポパーが「探求の論理」(1934)で同様の状況を指摘している。また、すでに古代懐疑主義においても内容的に同等のものが語られている(たとえばアグリッパの「五つの方法」は下の三選択肢に相当する三「方式」を含んでいる)。アルバートによるなら、基礎付けを求めると、 1.あるものを基礎づけるものをさらに基礎づけるもの、さらにそれを基礎づけるものを…というふうに無限に遡ることになるか、 2.循環的に、(他のものによって)基礎づけられたものを基礎づけに用いることになるか、3.もはや自身は基礎づけられていないものに依拠することによって独断的に基礎づけを中断してしまうか、 のいずれかを選択せざるをえなくなる。ちなみにアルバートらの批判的合理主義は、この事態を回避するために、そもそもの基礎づけに対して「批判的吟味」を提唱する。K.-O.アーベルなどの超越論的語用論や構成主義からは、この事態は基礎づけを〈演繹的〉基礎づけに限定する場合にのみ生じることである、との(反)批判がなされている。

『ポストモダンの条件』に抗って―「パラロジー」の向こう側―

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

J=F・リオタールは彼を一躍有名にした著書、『ポストモダンの条件』において、「ポストモダン」という時代は「大きな物語」の失効がそれを定義付ける事態だと論じた。「大きな物語」とは何か。リオタールによれば、それには二つある。ひとつは政治的・実践的な、「自由な主体」・「人間の解放」の物語。もうひとつは、哲学的・思弁的な、「精神の弁証法」・メタ主体としての「知の体系」の物語である。これらは、それ自体の正当性を問うことが無意味な、自明かつ普遍的な理想であり、あらゆる「知」に対して正当性を供給する源泉、また、その判断の準拠点として機能していた。
そのような「物語」への信頼が失してしまった時代が現代、「ポストモダン」だとリオタールは言う。しかし、それはいかにして起こったのだろうか。ひとつの原因は、「物語」に奉仕するものだった「科学」の発達である。科学はその正当化の際に、「どのように証拠を正しいものと証明するのか」という問いを要請した。この証明は技術によってなされるものだったが、科学の発展に伴う、技術の複雑化・強大化によって、更なる発達のために大きな「資本=富」を必要とするようになっていった。そして、資本は技術を生み、技術が資本を生む、という循環が形成され、その正当化は自己言及的になされうるものとなっていった。そして、技術=資本の統合は大きな「力」を生み出し、その力こそが正当化の根拠として機能し始めた。しかし、それでもなお二つの理想=物語はタテマエとしてではあっても疑いようのないものであり、「力」による正当化は真に正当性を持つものではなかった。
ところが、二つの世界大戦を通じて「大きな物語」の欺瞞は完全に暴かれてしまった。そして、科学の領域においてもゲーデルの「不完全性定理」に代表されるように、科学のゲーム性、すなわちルールの絶対性などありえないことが証明されてしまった。これらのことから、「正当性」など存在しないという理解は一般的なものとなり、正当性のなさを正当性の根拠に反転する、「力」の支配が強まり、政治経済の分野ではアメリカが覇権国システムを形成し、社会システム論がそれを補完する思想としてみなされた。
以上のような状況を憂慮したリオタールは、その打開のために「パラロジー」なる概念を提唱する。パラロジーとはあらゆるシステムをゲームとしてルール変更可能なものとしてみなし、異なるゲームの差異性を保持しながら新たなゲームを絶えず生産して、ゲームのシステムへの統一を拒否しようとする思想である。そこにおいては二クラス・ルーマンを筆頭とする社会システム論者に対抗するユルゲン・ハーバーマスも、特定の思想に対抗する二項対立関係のうちにあり、それは対立項をも保存させてしまうものだとして批判される。そのような「パラロジー」が唯一正当性の根拠として認めるのは差異の「創発性」である。
「パラロジー」は1970年代の終わりに提唱された概念だが、現在、その思想的に対応するものとして「多文化主義」を見出すことができる。しかし、多文化主義はいかなる現実的状況を生み出しただろうか。それは最終的には「ナショナリズム」に帰結してしまっているのではないか。
それでは、結局のところ「正当化」はもはや不可能なのだろうか。それは、そうだ、とも言えるし、そうではない、とも言える。どういうことか。
私は、そのどっちつかずの答えの根拠をN・ルーマンに求める。リオタールはルーマンを権力を批判しない保守主義者として完全に否定しきっていた。しかし、ルーマンは次のようなことを述べている。

学が目指すのは、差異を差異へと変換することであり、差異が誤認されたものとしてのみ扱われるべきである 
Luhmann,Niklas(1987)=(1993)馬場靖雄訳「社会学的概念としてのオートポイエーシス

これはリオタールの「パラロジー」とほとんど変わるところがない。それでは、なぜルーマンはかのような誤解をされてしまったのか。その誤解のされ方は同じく社会学者のM・ウェーバーによる「価値自由」と類比的なものであり、その誤解を受けた部分にこそウェーバーと同様にルーマンの可能性があると私は考える。では簡単にではあるが説明を試みよう。
「価値自由 Wertfreiheit」はT・パーソンズによって「valuefree」と訳され、日本においても多くの社会学者また事典を含む著書によって紹介されるように、価値から自由である、またはそれを目指す学問的態度のことだと解されている。しかし、そうではない。私たちは常にある立場、ある価値観に立たざるを得ない。しかし、その選択においては「社会科学」は自由でありうるのではないか、ということ、それこそが「価値自由」に他ならない。(この解釈に関しては那須壽、大澤真幸山之内靖らの議論を参照のこと)そしてさらにこの立場を徹底したのがルーマンなのである。ルーマンは次のように言う。

最後の根拠は、常に最後から二番目の根拠でしかないのである
Luhmann(1993)Das Recht der Gesellscaft 訳は馬場(2001)P.18

この言葉は、私たちが自らの立場から自由でない、すなわちその立場の選択の根拠を持ち得ないのだ、ということを意味している。そして、ルーマン自身もまた例外ではない。彼の議論は決して最終的な「答え」などではなく、常に議論の端緒にしかなりえず、しかしそのことによって後続を要請する。つまり、彼が求めるものは彼の対立者、ハーバーマスと同様に、「コミュニケーション」なのだ。例えば悪名高き「複雑性の縮減」という概念がある。リオタール・ハーバーマスらは、これをシステムの存続、正当化のためのシステム自身が持つ機能として理解していた。だが、「複雑性の縮減」は何かのために必要とされるのではない。その「何か」について語るために「複雑性の縮減」はなされねばならないのだ。
しかし、それではなぜルーマンハーバーマスは対立したのか。その原因は、コミュニケーションや差異性の捉え方の問題にある。つまり、「パラロジー」のように直接的に差異性の価値を主張すれば、統一性を主張する思想はひとつの「差異」として認められず、にもかかわらず現実的にはある特定の特殊性に依拠せざるを得なくなることに非自覚的になってしまうのだ。それに対して、ルーマンの「自己言及的に閉じられたシステム」の考え方は、決して統一性には行き着かない。なぜならあらゆるシステムはその普遍性を標榜し、その普遍性を比較しうる視点、真に普遍的な視点などルーマンを含む誰にも持ち得ないからだ。そしてそのルーマンの比較不能な差異性としてのシステム論は、現状維持の保守主義としての可能性を否定するものでもないが、同時にスピノザ的実体の統一性が「数的でない多様性」を伴っており、そこからネグリ=ハートの「マルチチュード」の概念が発想されたように、新たな多様性・差異性を目指すための思想としての可能性も十分に持っているのである。


参考文献

馬場靖雄 『ルーマンの社会理論』 頸草書房 2001年
合田正人 『レヴィナスを読む』 NHKブックス 1999年
リオタール,J=F 小林康夫訳 『ポストモダンの条件』 水声社 1989年
大澤真幸 『ナショナリズムの由来』 講談社 2007年

メディアと他者性の条件

存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ

存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ

1.はじめに 「メディアと速度」

私たちは交通機関の発達、すなわち速度を手に入れることによって、移動の自由を拡大してきた。
速度の獲得は場所と場所の距離を縮減する。そのことによって相対的に空間は狭くなる。そして速度を持って移動する身体を中心化してこのことを言い換えれば、速度の増加によってあらゆる場所は身体に近づくと言える。
乗り物の速度がその極に至ったとき、搭乗する身体は不動の状態と等しくなる。あらゆる場所は身体の近傍、「ここ」にあるのだから。もちろん実際の乗り物において極点へと漸近する作用は観察できても、「ここ」は常に単数なのだから、距離が無化することはありえない。しかし、私たちはその極、すなわち高速の移動と静止状態の一致をすでに体験しているのだ。それこそがインターネットメディアの利用である。
乗り物と情報メディアを「速度」によって一つのものとして眺める視座を与えてくれるのはポール・ヴィリリオである。ヴィリリオによれば、「速度」は移動によって使い尽くされるものではなく一種の「光」のように現象する。この語が表しているのは、乗り物が静止する風景の中を移動しているという見方ではなく、風景のほうが次々と後方へ過ぎ去っていくという事態であり、ここでは乗り物が風景に「近づく」のではなく、風景を「近づける」のである。このとき乗り物は「運搬装置」ではなく、「速度装置」・「走行光学装置」として情報メディアと同じ「メディア」となる。
このことによって、逆に情報メディアの乗り物的側面を指摘することができる。情報は、ディスプレイやスピーカーなどを通じて、遠方から「ここ」へと高速でやってくる。テレビやパソコン、携帯電話を前にしてじっとしている私たちは、身体は静止状態にありながら、情報を引き寄せる「速度」の只中にいるのだ。そして、メディアによる速度は、電磁波の速度、すなわち光速に到達するために、速度を増し続ける乗り物の「相対速度」に対し、「身体の」ではなく、「速度」自体が限りなくゼロに近づく「絶対速度」の水準にあるのだ、とヴィリリオは言う。さらに、この水準において私たちは、「不活性」なる状態に陥るのだ、とも。

2.問題提起 「メディアと存在」

「不活性」とは何か。和田伸一郎はこの概念を説明するためにハイデガー存在論をそれに接続する。和田によれば、「不活性」とは、「現存在」としてはあらゆる遠方へも潜在的に接続されながら、そのために自らが向かうべき場所をすでに蕩尽してしまった状態であり、無数の可能性のうちで唯一実際に現象・体験されている今・ここを引き受けることもできない、「深い退屈」のことである。では、ここで言う「退屈」とは何か。それは「存在すること」を重荷に感じること、ジャック・マリオンの言い方では「存在するところのもの(存在者)を嫌悪するだけでなく、存在をも嫌悪する」という事態である。
ここで簡単にではあるが、「存在」あるいは「存在者」なる術語を私がどのような理解で用いるかを示しておかねばならないだろう。まず「存在」とは、フッサールが純粋自我を還元の残余、疑い得ない最後のものとしたのに対し、私たちにとって先験的な、「存在すること」の「地」となるものである。そしてそこから生成するものが「存在者」であり、自らをそう自覚するものが「現存在」である。
このような理解から、私は「存在」を嫌悪するとはいかなる事態なのか、メディアはそれにどうかかわっているのかを検討する。
和田は、私が今挙げた問題関心を先に説明してきたようなヴィリリオハイデガーの相互補完によって考察しているのだが、そこには身体の複数性についての配慮が欠けており、「不活性」=「深い退屈」、すなわち「可能性が汲みつくされている」とはいかなることなのかについても、それはメディア利用者としての私たちが、「存在」に向き合う新しいあり方なのだという観点から「表象」概念の否定へと議論が方向転換されており、十分に議論がなされているとはいいがたい。
そこで私は大澤真幸の大著『自由の条件』の一部を参照し、問題の解決に近づこうと考える。

3.メディアと他者性・またその可能性
まず、「不活性」は積極的な選択の不可能性と読み替えることが可能なのではないだろうか。『自由の条件』においてこの疑問と対応するのが、第一部・第二章、「フレデリックとアルマン」の項である。ここで大澤は、芹沢俊介が引いている、精神分析医フランソワーズ・ドルトの臨床例を元に議論を展開する。それを簡略に述べるならば、以下のようになる。

ある男の子が、誕生したときに生みの親に捨てられ、施設に収容された。そして生後十一ヶ月のときに養子縁組が成立し、男の子は引き取られた。このとき養父母は、彼を「フレデリック」と名づけた。だが成長したフレデリックは、知力障害や便失禁などの精神的症状を呈し、七歳になってもこれらの症状は消えなかった。そこで彼はドルトの治療を受けることになる。彼女の治療は直ちに成果を挙げた。しかし、どうしても消えない症状がひとつだけ残った。それは「文字」に対する抵抗である。彼は読もうとも書こうともしなかったのだ。ところが彼は「A」の一文字にだけは反応を示した。彼が養子になる前の名前は、「アルマンArmand」だったのだ。そこでドルトは直接的に彼に問いただすが効果がない。しかしこの後、「アルマン」という名をフレデリックを直接見つめることなく声の調子も変えて呼びかけたところ彼は劇的に反応した。(大澤P.55-56,一部改変・省略して引用)

この事例を大澤はこう分析する。「アルマン」の命名は男の子にとって先験的な選択であったが、「フレデリック」の命名はそれを否定する経験的な選択であった、と。そして、先験的な選択の否定が、彼を選択の主体となることから遠ざけていたのだ、と。このことは先の「存在」とその拒否と類比的ではないだろうか。インターネット空間において名前の変更や命名自体の拒否が頻繁に見られるのもおそらくは無関係ではあるまい。命名されることの拒否、それは先見的な他者の拒否と同じことだろう。そのような他者の不在は、究極的には選択の「可/否」を区別する審級の消滅を意味している。私たちは選択を行うためにまず、その名前を引き受けねばならない。しかし、アルマンの場合と私たちメディア利用者の「退屈」=「不活性」は決定的に異なってもいる。それはアルマンが拒否したのが経験的な名前であったのに対し、メディア利用者が拒否するのは真の、先験的な名前だからだ。
つまり、私たちが「退屈」=「不活性」から逃れるためには、「私」を名指す先験的な他者を確保し続けねばならないということだ。そのようなことが可能だろうか。可能だ、と大澤は言う。きわめて簡略化して言えば、他者の他者性、すなわち、その不確定性を維持することによって。それは「私」の偶有性、単に「他でもありえた」ではなく人称的な偶有性、「あなたでもありえた」によって開示されるものだ。それはメディアによって骨抜きにされてしまう「可能性」とどう異なるのか。「可能性」はあくまでも私の「存在」の内部におけるものであり、「偶有性」は存在自体の差異を問題にしているのだ。しかしそのような差異を問題化する視点は「存在」の内にはありえない。もしそれを問題化しようとすれば、むしろ他者の他者性を損なうものとなってしまうだろう。そう、他者性の到来は常に痕跡として経験されるのみなのだ。かつてあったもの、として。だが、問題はメディアがそのような痕跡を表現しうるのか、ということだ。きわめてフラットで、電子的なそれによって。
 例えば私たちはその問いに対する悲観的な答えをデータベースと図書館の差異に見ることができる。データベースは単に書籍目録ではない。すべてのテクストを検索のネットワークに組み入れることを至上命題としている。それに対し、図書館はそのデータベース化が始まっているとはいえ、基本的に名前によって内容へといたるのだ。つまり、前者には名前の特権性はないが、後者には未だその特権性は残っている。
インターネットのデータベースと図書館が異なるのはこの一点であろう。それゆえに図書館は私たちを欲望させるが、データベースは私たちに利用されるだけなのである。インターネットをはじめとする情報メディアは私たちの生活に不可欠なものとなっている。しかし、それらは私たちを生かすだろうか。もしメディアにそのポテンシャルがあるのなら、私たちはそれをこそ発展させなければならないのではないだろうか。


参考文献

大澤真幸 『自由の条件』 講談社 2008年
和田伸一郎 『存在論的メディア論』 新曜社 2004年
ヴィリリオ,P 土屋進訳 『瞬間の君臨』 新評論 2003年

反復と終わりの不可能性 ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』

ボディ・アーティスト

ボディ・アーティスト

嵐の後のこんなにも陽射しの強い朝、彼らはキッチンにいた。彼のトースト。彼女の天気予報。二人の会話はかみ合わない。幾分芝居がかった口調の男。それはすこし彼女をいらだたせる。けれども本当に苛々しているのは男の方だ。
ブルーベリー、ラジオ、オレンジジュース、髪の毛、バンドエイド、イチジク、大豆粉、「何かいるみたい」な物音、煙草、金曜日、カケス、車のキー。
彼女の想念と二人の話題は脈絡なくさまざまに飛び交い、二人の身体もせわしなく動き回る。朝食の光景は、成熟した男女が生活を共にしているその必然性を感じさせる。
男の名はレイ・ローブルス、64歳。映画監督。彼の情報はその自殺による死を報じる新聞記事のような一節によって与えられる。生い立ち、成功、失敗。そして残された彼女は彼の三番目の妻、ボディ・アーティストのローレン・ハートケ。
夫が去った海辺の家に彼女は一人残った。彼女からは夫と一緒に何かが去ってしまった。いや、もしかしたら、そんなものは元からなかったのかもしれない。例えばそれは、時間と呼ばれているものの、おそらく不可欠な要素。

パン粉の箱が食糧貯蔵庫の棚のひとつに置いてあった。彼女は箱入りのパラフィン紙を見た覚えがあった。箱の色は青と何かの色だった。こういうことが今重要なのだ。食事、手仕事、おつかい。
彼女はゆっくりと部屋部屋を歩いていった。服を脱ぐとき、彼女は自分の背後に彼がいるような気がした。冷たい床の上に裸足で立ち、汚いセーターを脱ぎ捨てた。それから彼女はベッドのほうに半分ほど体を向けた。
最初の頃、彼女は車から降りたとき、崩れ落ちそうになった――派手に転んだわけではないし、それによってどうしたというわけでもない。ただ、どうしようもなくなって地面に座り込んだのだ。どうやって立ってよいのかを忘れてしまったような感じだった。
彼女はコロッケを揚げようかと思った――たった一人であることを意識しながら。部屋の向こう側から自分自身を見つめるような感じ。あるいは、今たっているまさにこの場に立ち、今のままの自分でいながら、どこか空中に漂う自分自身を見る――そしてもう明日になったと考えている――そんな感じ。
彼女はレイの煙とともに消えてしまいたかった。死んで、彼と一体化したかった。彼女は箱のぎざぎざした縁にそってパラフィン紙を切った。それからパン粉の箱に手を伸ばした。
電話が鳴ったとき、彼女は電話を見なかった――映画の中で俳優たちがやるようには。現実の人間たちはなっている電話をじっと見つめたりしないのだ。
パラフィン紙はタタタタと音を立ててロールから離れ、箱の縁のぎざぎざに沿ってきれていった。そして彼女はその音が背骨を伝っていくように思った。
彼女はすでに明日のことを考えていた。日々の計画を先んじて立てた。彼女は羽目板張りの部屋にひとりで座っていた。浴槽の中に立ち、タイル壁の上のほうをスプレーしたが、しまいには腐った松のような酸とエーテルの匂いに圧倒された。それでもスプレーをする手を止めることはなかなかできなかった。
彼女は鍋で火傷をし、すぐに冷蔵庫へ走ったが、糞たれ冷蔵庫には氷が入っていなかった。糞たれ製氷皿に水を入れておくのを忘れたのだ。(35-36)

このように切り取れば、かなりノイズが混じるものの、その記述の割合から「彼女はコロッケを揚げようとして火傷をしたのだ」と理解してしまうかもしれない。けれど、文章は次のように続いていく。

なんとも奇妙なことだ。大企業がパン粉を大量生産し、包装し、世界中のいたるところで売っているのに、彼女がパン粉の箱を見つめたのはこれが本当に初めてなのだ。――突如としてそんな風に思われた。本当に見て、中に何が入っているか確認した。パン粉だ。
 彼女は羽目板張りの部屋に座り、読書をしようとした。その前に彼女は暖炉の火をおこした。それはブランデーと暖炉に似合うようにとデザインされ、大失敗した部屋だった。家具の趣味がなんとも悪かった。彼女は紅茶を飲み、本を読もうとした。しかし彼女は一ページほど読み進むと、空間に固定された事物をぼんやりと眺めてしまうのだった。
 最初の頃、彼女はとんでもない貝を食べてしまい、その後の数時間をトイレに行ったり来たりしてすごした。しかし。少なくともこれで身体を取り戻した。下痢便ほど効果的なものはない、と彼女は考えた、精神と身体をひとつにするためには。
 彼女は自分が立てる音を聴きながら階段を登った。その音はなぜか家のほかの場所から聞こえてくるように感じられた。
 彼女は汚いセーターを脱ぎ捨てた。腕を上げてセーターを抜き取ろうとしたとき、手に軽く何かが当たった。前にもこういうことはあったのだが、彼女は何が当たったのだろうと考えていた。そして思い出した。天井から下がっているランプだ。その金属の笠が揺れている。それは部屋にまったく合っていないランプだった。彼女はベッドのほうに体を向け、そして見つめた。――半ば見つめた――期待ではなく、何か別のものをこめて見つめた。その意味はあまりに希薄で、彼女はそれを読み取ることができなかった。(36-37)

彼女の現在はどこだろうか。記憶も、願望も、想像も、リアリティというグラデーション、前後関係というパースペクティブを失い、着地する地平を見出すことのできぬまま浮遊している。
しかし、読み終えてしまえば、どの場面も等しく過去のものかもしれない。物語の全体としてはリニアに進んでいくのだから。
私たちの多くはきっと、時間に二つの様相があると考えている。時刻や日付によって範囲を確定し、日・時・分・秒などによってその内包は量として把握され、年表・カレンダー・アナログ時計などの機器が視覚的に前後・位置関係を示す「客観的時間」。それに対する「主観的時間」、他者と共有すべき指標を持たない質的な時間。彼女が生きている時間こそ、その極なのだ、と思うだろうか。確かにそうだ。そのことに間違いはないだろう。だが、不思議なのは、そのような体感を疑いないものとして感じる読み手が経験するのは、彼女の主観的世界ではない、ということ。読み手の目の前には、魂が抜けてしまったような彼女の姿が常に存在しているのだから。
彼女は記述されている。言葉によって。だとすると、「客観的時間」の壊乱は、言葉の壊乱でもあるのではないか。

彼女は天気予報を聞くのをやめた。天気をそのままに受け入れた。冷たい雨も、風の強い日も、傾斜した野原で風に吹かれている丸い岩々も――家紋のように見える岩々は稲光と物語と時間を帯びて脈打っている。彼女は薪を切った。コンピュータの前に何時間も座り込み、生中継で流れ続ける映像をじっと見つめていた。フィンランドの都市を通る二車線の道路の縁から撮った映像。フィンランドのコトカ市では真夜中であり、そして彼女はスクリーンを見つめていた。それが面白かったのは、それがたった今、彼女がここに座っているあいだに起きていることだからだ。そしてまた、それが一日に二十四時間起こり続け、個人の顔は見えないからだ。――ただ車がコトカ市から出たり入ったりしているだけ、あるいはただがらんとした道を映し出す空白時間のみ。空白時間のときが最高だった。(40)

出来事によって、言葉によって分節されることのない、それゆえ振り返ることも、未知の彼方を思い描くことも意味をなさぬ時間。ただただ純粋な現在の堆積。彼女はそれに耐えることができない。それを自身のものとして引き受けることができない。だが、彼女が求めているのはそれなのだ。それは、彼女が失った言葉と出来事に意味を与えるその順列性、意味の後の差異にもとづく同一性、それら順列性・同一性自体が生成する場、あるいはアイデンティファイする主体/客体が充填される器のようなものだ。何かを受け入れるか、あるいは拒むのかを選択する以前に、その何かを何かとして現象させる先験的な次元。その先験的であるはずの次元を経験的に生きなおさなければならないという逆接。天気予報を拒否すること、何も起こらない映像を見続けること。
孤独に失ったものを取り戻そうとする彼女。失ったものを取り戻すために孤独であろうとする彼女。そこに彼が現れる。

彼女はその翌日、小さな寝室で彼を見つけた。三階の廊下の一番奥、空っぽの部屋に隣接した寝室だ。彼は小柄で、引き締まった体をしており、最初彼女は子供かと思った。薄茶色の髪、深い眠りから無理やり起こされたかのような、あるいは薬で朦朧としているかのような表情。
彼は下着姿でベッドの縁に座っていた。最初の数秒間、彼女は彼のことを必然的なものだと考えた。彼女は手探りするように過去に遡り、家に誰かがいると最初に感じた頃のことを思い出した。それから彼女は寸分も違わず、今この瞬間に戻った――これまで知覚してきたことがすべて解明され、証明されて。(43)

レイと彼女の最後の朝、レイが彼女に話そうとしたこと、それは「何かいるみたい」な物音のことだった。彼―後に彼女はタトル先生と名づけるのだが―がその物音の主だった、と彼女は確信する。彼女は彼に話しかける。「答えてちょうだい。どのくらい前からここにいるの?」「でも、どうしてここにいるの?かなり前からここにいたわけ?」
だが彼の応答は通常の会話としては成立しないものだ。

「話してちょうだい」−「話してちょうだい。私は話している」
「何が見える?」−「森がその一部だ」
「私はこの家が好きなの。そう、ここにいたいのよ。でもこれは借家なの。私が借りてるの。六週間か七週間したら、ここを出るわ。もっと前に出るかもしれない。私たちで借りた家なの。五週間か六週間。もっと短いかもしれない」−「でも、あなたは立ち去らなかった。」−「立ち去るわよ。二、三週間でね。その時が来たら」「契約が切れたらね。もっと早いかもしれない。立ち去るわよ」−「でも、あなたは立ち去らない」

ほとんど謎かけのような受け答え。しばらくやり取りを続けた後に彼女は気がつく。

それはあけすけな物まねだったわけではないが、彼女は自分の声の要素を聞き取った。きびきびとした話しぶり、のどの奥にかすかにこもる音、彼女の声の高さ、彼女の音。それは実に困難なこと、ほとんど超自然的なことだった――他人の声、彼の声に自分の声を聞き取ること――そして心を深く掻き乱すものだった。彼女はそれが自分の声なのか確信できなかった。それから確信した。その頃には、彼はもはやいすのことやランプのこと、じゅうたんの模様のことなどを話していなかった。彼は彼女が誰かと話しているときの、彼女の役を演じているようだった。(55-56)

彼の語る言葉は、彼自身の言葉ではない。彼女の、そしてレイの言葉なのだ。言葉だけではない。声色、仕草も、また。それはつまり、彼は死者=レイをほとんど完璧なまでに再現することができるということだ。その意味において、彼はメディア的存在だといえる。
彼女は言った。「どうしてかしら、私はあなたの近くにいる気がするのに、あなたはそれほど私の近くにいるように思えないの」
近さと遠さの矛盾なき共在。そこにあって、そこにないもの。さらに一般化して、それであって、それでないもの。言い換えれば、遠方のものを近傍のものとして、そこにないものをそこにあるものとして、それでないものをそれであるものとして現前させるものがメディア=媒介なのだ。
しかし、その一方が例えば、死者・異界・未来であるとき、メディアは極めてご都合主義的な物語装置へと堕してしまいかねない。一方の実在が不確定なときそれはもはやメディア=媒介ではないからだ。死者・異界・未来がそれとしてありうるのは、どれもが決して到達不能なもの、その超越性が保証されている限りにおいてだ。ゆえに物語装置がいともたやすくそれらを「媒介」し、現前-表象してしまうとき、その現前-表象されたものはナルシスティックな欲求の補完物に過ぎなくなる。
それでは、彼、タトル先生もまたそのような存在なのだろうか。彼女が喪失から立ち直るための。
もちろんそうではない。彼はレイを、彼女を再現することができる、と書いた。しかし、精確に言えばそれは「再現」ではない。再現とはいわばコピーであり、オリジナルの唯一性・一回性を奪ってしまうものだ。だが、彼が彼女にもたらすのは、かつてあったことの繰り返しであるにもかかわらず、唯一的・一回的な体験なのだ。
それは最後の朝、二人が朝食を終えて、レイが、最初の妻の家でピストル自殺を図る、そのために、自分のトヨタに乗る直前の二人のやり取り。突然、彼は一人で、レイと、彼女の声でそれを繰り返し始める。
そのような体験は、松浦寿輝プルースト失われた時を求めて』第4篇、「ソドムとゴモラ」の中の一章「心の間歇」を引きながら、「反復性」の体験と呼ぶものに極めて似通っている。

プルースト的な「間歇」の特異性は、貴重このうえもない「イメージ」の不意の湧出が、取るに足らぬ些細な信号をきっかけに、現実生活のクロノロジーとはまったく無関係なでたらめさで起こるところにある。「プルーストは記憶が悪かった」というベケットの名言があるが、「心の間歇」とは、時間の順序も方向の統覚も混乱しきった記憶のはざまをぬって唐突に奔騰する心情の高まりのことであり、プルースト的な「イメージ」空間は、その無秩序さと無根拠さとによって、超越的な秩序に統べられた「アウラ」の聖性から身を引き離すことになるのである。(松浦,46)

「心の間歇」は「再現性」の体験ではない。そこには、かけがえのない貴重さの概念が生き延びているからである。だが、その貴重さとは、「アウラ」においてのように、それが唯一一度かぎり起きた出来事であるがゆえのものなのでもない。「ふたたび」であること、時間の流れの中での「間歇」的な繰り返しであることこそ、プルースト的な想起の受難の核心をなす要件なのである。これを、きりなく増殖してゆく量的な「再現」と区別して、繰り返しによってのみ特権的な真実にいたる質的な「反復」と読んでもいいかも知れぬ。「心の間歇」は、「再現性」でも「唯一性」でもなく、「反復性」の体験なのだ。(松浦,47-48)

しかし、彼女が、そして私たちが彼を通して体験するものはプルーストのそれとは決定的に異なってもいる。「心の間歇」が些細な信号をきっかけとした「イメージ」の湧出、反復であるのに対し、彼女の体験にはわずかなきっかけもなく、気がついたときにはすでに始まっていた。そして、それは「イメージ」ではなく物質的な、それも他者による「再演」とでも呼ぶべきものであり、反復されるのは、声であり、「言葉」なのだ。
さらに後に、今度は彼女が彼を反復したことに気がつく。「それに触らないで、あとで私が片付けるから」
もはや「反復」に起源は存在しない。
他ならぬこの私を形作るはずの記憶が、私ではない別のものによって演じられてしまったとき、彼女に選択肢は三つあった。ひとつはすべてを科学的秩序のもとに意味づけること。ひとつは彼を他者として認めないこと。つまり、一個の物語装置としてみなすこと。そしてもうひとつは、「他ならぬこの私」などというものを一度放棄してしまうこと。
彼女はこのうちどれか一つを選択したわけではない。ほとんどすべての可能性を生きたと言ってもいいはずだ。そしてそれは、レイが死んでから、彼が現れてからのことではなく、ずっと、おそらくは最初からそうだった。

例えば、彼女はボディ・アーティストだ。彼女が演じるのは身体。思春期の男女の、ペンテコスト派の説教師の、ヨーグルトを食べて生きている百二十歳の老女の、そして妊娠した男の。これは彼、タトル先生とほとんど変わるところがない。一貫した、確固たる私を破壊して見せることが彼女の職業だったのだ。
だが、そのような彼女もまた、唯物論的・科学的思考法から自由でなく、同時に愛する人の死を前にしてその不可逆性を受け入れることができない。ボディ・アーティストであること、「私」でないことにさえ彼女は収斂されないのだ。

しかし、もしあなたが事を秩序立てて検証するのなら。頭を働かしてみよう、と彼女は考えた。そして冷静に分析してみよう。分解し、吟味しよう。
もしあなたが事を秩序付けて検証するのなら、次のように考えざるを得ないだろう。彼は知的な障害を持ちながら、ある特殊な領域には悲しいほどの才能に恵まれた男で、それは抜群の記憶力と物真似の才能なのだ。そしてその男が大きな家に隠れ、こっそりと聞いていたのだ。
それ以外に意味をなす説明はない。(121-122)

彼の死があなたを凄まじい恥辱に追い込んではいけないのか?服を引き裂くような激しい恥辱に?なぜあなたは彼の死に適応しなくてはいけないのか?あるいは、死別の味わいに屈しなくてはならないのか、唇を噛みしめて耐えなければならないのか?もし彼を手の届く範囲に留めておけるのなら――廊下を歩きながらその方法が見出せるなら――なぜ彼を諦めなければならないのか?
深く沈み込め、と彼女は考えた。それがあなたを落ち込ませるに任せろ。それが導くところについていくがいい。(142-143)

彼女は分裂する。科学的思考法と、ナルシシズムから距離をとるために。自らを二人称的客体として扱う彼女は、その客体化に自覚的である限りにおいて、自身から自由ではない。だが、彼女はそれをやめないだろう。それどころか、彼女はそれを物語り始めるだろう。空っぽの、開かれた窓から時が流れ込む部屋の中で。
一人の人間を定義づけることなど、どれほどの言葉を費やしても不可能なことだ。それは小説も同様である。小説を終わらせることなど本当はできない。それゆえに、その結末において人は語り始めるのだ。


参考文献

デリーロ,ドン 上岡伸雄訳 『ボディ・アーティスト』 新潮社 2002年
松浦寿輝 『平面論 一八八〇年代西欧』 岩波書店 1994年
和田伸一郎 『存在論的メディア論』 新曜社 2004年 

書くことの倫理?

場所 (Hayakawa Novels)

場所 (Hayakawa Novels)

書かれているのは父の物語だ。「読むことも書くこともできない人だった」男をその父親に持ち、自らはプルーストやモーリヤックが描いた時代、フランス・ノルマンディー・コー地方の内陸の村で幼少期を過ごしたひとりの男の。男は読み書きこそできるようになったものの、十二の時にはすでに農場で働き始める。大戦で兵役につき、外の世界を知って、村へ帰ってくると農業には嫌気がさし、工場の労働者となった。そこで彼は母と出会い、小さな商店を始め、それは後にカフェを兼ねることになる。父が貧しい生活の中で育てた娘は知的に優秀で、大学へ行く。彼女が「エリートの」教員になった、という知らせを聞いた二ヵ月後に彼は六十七年の生涯を終えた。物語は、その「エリートの」教員である娘によって書かれる。
彼女は、父について書く動機、それにあたっての態度を表明する。

 日曜日、帰りの列車に乗った私は、息子がおとなしくしているよう、努めて機嫌をとっていた。一等車の乗客は、騒々しい物音やはしゃぎ回る子供を嫌うものだ……。そのときハッと気がつき、茫然として思った。「今では私も、本当にブルジョワ女になってしまった」、そして「もう後戻りはできない」と。
 その後、初めて赴任先の決まるのを待っていた夏のある日、ここに至った経緯に説明をつけなくては」と思い立った。父のこと、父の人生のことを述べたい、書きたいという気持ちになったのだった。そしてまた、私の思春期の頃にできてしまった、父と私との隔たりのことも。いわゆる階級差による距離には違いないのだが、特殊な、名状しがたい隔たり。切り離されてしまった愛のようなもの。

そこで私は、父を主要登場人物とする小説を書き始めた。が、物語の途中で嫌気がさしてしまった。

最近になって、小説にするのは無理だとわかった。糊口を凌ぐことに明け暮れざるをえなかった人生を語る以上、私には、初めから事実より芸術の側に加担したり、「興味津々な」あるいは「感動的な」何かを作り上げようとする権利はない。私は、父の言葉や動作や好みを、父の人生の主だった出来事を、自分もかつて共にしたひとつの生活のあらゆる客観的なしるしを、集めるつもりだ。
詩情をかもし出す回想も、愉快な嘲弄も一切なし。私は極自然に、何の変てつもない文体、かつて両親に近況をかいつまんで知らせるときに用いていたのと同じ文体で書く。
(P.20-21)

彼女が書くとおり、物語は慎重に抑制された筆致で進んでいく。読者が、というより自らがその物語に没入することを禁じるように、文章はすぐに余白によって区切られる。常にそこには「書き手」としての彼女がおり、書かれている「現在」は消えることがない。それゆえ、父の言葉や振る舞いについて記されるとき、そこに懐かしさ、微笑ましさを感じ取った瞬間、それは悲しみに染まってしまう。父を通して描かれるある時期、ある地方、ある階層の生活。「辛いことはあってもまあ幸せだったのさ。でなくちゃ、やっていけねえよ」そういったものに対する懐古趣味にも浸ることは許されていない。過去の情景に想像的に同化すること自体がそこでは禁じられているのだ。父との、あるいは過去との断絶は断絶のまま保持される。父と隔てられることのなかった世界は「ありえたもの」としてさえ描かれない。彼女は父について書くにあたって、倫理的であろうとするがゆえに、自らが書く世界=貧しいが幸せな生活、自らが書いている世界=ブルジョア、知的エリートの生活、のどちらにも居場所を失っているように見える。そのような彼女を、ブランショカフカに与えた「芸術」の名のもとに位置づけることもできるかもしれない。


芸術とは、先ず第一に、不幸の意識であって、不幸に対する埋め合わせではない。カフカの厳しさ、作品の要請に対する彼の忠実さ、不幸の要請に対する忠実さ、こういうもののために、彼は、人生に幻滅した多くの弱い芸術家たちがそこで自足しているような、あのさまざまな架構で作り上げた楽園を持たなかった。芸術の目的は、夢想でも「構成」でもない。だがまた、芸術は、真理を述べるわけでもない。真理とは、知られたり述べられたりする必要はなく、おのれを真理とさえ知ることさえできぬものであり、それはちょうど、地上の救いが、問われたり思い描かれたりすることではなく、成就されることを求めるようなものだ。こういう意味では、芸術のいるべき何の余地もない。きびしい一元論が一切の偶像を排除している。だがまた、これと同様の意味で、たとえ芸術は、一般的には、根拠づけられないとしても、ただカフカにだけは、根拠づけられているのだ。なぜなら、芸術は、まさしくカフカがそうであるように、この世の「外」にあるものと結ばれており、内奥もなく憩いもないこの「外」の深みを、つまり、われわれが、自分自身とさえ、自分自身の死とさえ、もはや可能的な関係を持たぬときにあらわれるものを、表現しているのだ。芸術は、「この不幸」の意識である。自分自身を失った人間、もはや「私」といいえぬ人間、そしてこのように動いていくうちに、この世も、この世の真理も見失い追放の運命に従う人間、ヘルダーリンの言う、神々がもはや存在せず未だ存在せぬ窮乏の時に属している人間、そういう人間がおかれた状況を、芸術は描くのである。このことは、芸術が、ある他界を断言していることを意味しない、まさしく、芸術は、ある他界にではなく、どんな世界に対しても他者であるものの中に、その根源を持っているからだ
(P.91-92) 「文学空間」 M・ブランショ


しかし、そうしたとき「芸術」=「不幸の意識」と彼女の差異が浮き彫りになる。何より彼女は、「私」と言い得ている。そして時には積極的に、「私」を主張してさえいるのだ。

私はゆっくりと書く。さまざまな事実と行われた選択を一連のものとして拾い上げ、そのなかにひとつの人生の筋道を示そうと努めながら書き進めるに連れ、自分の視野から父個人の姿が消えていくような気がする。全てが典型化し、観念が一人歩きし始める。逆に、記憶のなかのイメージを自由にそこに滑り込ませると、私は、父の在りし日の姿を、その笑いの動作をまざまざと思い出す。例えば、父は私の手をとって縁日に連れていってくれるが、私はメリーゴーランドを怖がる……。こうして、他の人々と共有した一つの生活条件のしるしが全て、私にとってどうでもよいものとなる。そのたびに私は、個人的なものの罠から自分を引きはがす。 
 当然ながら、書く楽しみは一切味わえない。何しろ私は、かつて耳にした言葉や言い回しにできるかぎり身を寄せ、時にはそれらに傍点まで打つようなことをしているのだ。傍点はこの場合、読者に二重の意味を示唆して暗黙の了解を交わすための目配せではない。そもそも私は、郷愁、哀歓、嘲弄等のいずれにおいても、読者とこっそり示し合わせるようなことは拒否する。傍点を打つのは単に、その単語や句が、父の生きた階層の社会、私もまたそこで生活した社会の限界と雰囲気を端的に示すからだ。第一、その社会では、ある言葉を別の意味にひねって使うことなどけっしてなかったのだ。
(P.51-52)


「私」という書き手を意識させることは、物語への没入を拒否する倫理的態度だ、と書いた。しかし、その倫理的態度を主張すること自体は、どこか言い訳のように読めてしまわないだろうか。この物語にエピグラフとして掲げられているジャン・ジュネの言葉、

あえて説明してみようか。書くのは、裏切ってしまったときの最後の手段なのさ


この「最後の手段」とは自己正当化のためのそれである、というように。

なぜ私は書くのか?――数ある理由のなかでも、義務によってということはありうるだろう:例えばある大義のために、社会的道徳のために、教育したり、教化したり、闘争したり、楽しませたりするために。これらの理由は軽視できない;けれどもそれらが書くという行為を社会的、あるいは道徳的(外部的)要請に従属させるかぎりにおいて、私はそれらの理由を自己正当化の根拠として、アリバイとして生きている。さて、できるだけ明晰になってみれば、私はひとつの欲望(強い意味での)を満たすために書いていることを知っている。
 (P.221) 「小説の準備」 ロラン・バルト

そうすると、たとえば次のような箇所は、少なくとも書くことにおいては倫理的な態度を貫くことができたのだ、という、書き手としてはすでに正当化された「私」の言葉として受け取られかねない。

 

ある著作のタイトルを覚えている。『限界体験』。(フィリップ・ソレルスの評論、正しくは『エクリチュールと限界体験』)冒頭部を読んでがっかりした。そこでは、形而上学と文学しか問題になっていなかった。


この本の執筆中ずっと、私は一方で、生徒たちの宿題を添削したり、小論文のモデルを提示したりしていた。そういう仕事で給料をもらっているからだ。そうした観念の遊びから、私は、贅沢と同じ印象を受けた。本当のこととは思えない感じ。泣きたくなる。
(P.144)

彼女はソレルスと違って、「文学」でないものを書きえているというのだろうか。これも所詮、言葉によって書かれたテクストに過ぎないではないか。すると、また視界は反転する。つまり、書き手を称する「私」もまたテクストなのだ、と。倫理的であろうとしたテクスト‐内-書き手は、その態度によって優れた文学的効果を生み出したものの、それが目指した「倫理」には結局到達し得なかった。その書き手とその試みこそがテクストであるならば、テクストの全き外部にいる作者=アニー・エルノーは、「書く行為において、倫理的であろうとした女性作家の試みの挫折」を描いたテクスト‐外‐書き手として、きわめて倫理的でありえたと言う事もできるのだ。
おそらく、倫理的主体としての「作者」をどこに求めるか、などということはきわめて恣意的である。もちろん、作者のインタビューやエッセイ、対談、評論、他の作品を読むことによって、あるいは実際に会ってみることで、作者像が確定されていくこともありうるだろう。そして、その作者像は、読まれるテクストに影響を与えずにはおかないだろう。しかし、それらの作者像もまたある種のテクストであるとする見方も可能である以上、やはり恣意性を免れることはない。(「作者」のテクスト性、テクスト間の影響関係についてはジェラール・ジュネット『パランプセスト―第二次の文学』に詳しいと思われる)それは、テクストやその作者に、倫理を求めることが無意味だ、ということではない。むしろ、書く行為においては誰もが、倫理から自由ではあり得ないことを意味するのだ。
書くことにおける倫理を問い直す契機を与えうる、その可能性においては、「場所」が優れて希有な小説であることは疑いないだろう。

参考文献

バルト,R 石井洋二郎訳 『小説の準備』 筑摩書房 2006年
ブランショ,M 粟津則雄・出口裕弘訳 『文学空間』 現代思潮新社 1962年
ルノー,A 堀茂樹訳 『場所』 早川書房 1993年

一つの映画が世界そのものであるということ 『クーリンチェ少年殺人事件』試論

一九九一年という年号は、ソ連という国家の消滅によってではなく、ましてやジョナサン・デミの『羊たちの沈黙』がハリウッドでオスカーを独占したことによってでもなく、『クーリンチェ少年殺人事件』と題されたたった一本の映画が台湾から世界に向けて発信されたという希有の事件によって記憶されることになるだろう。(蓮實重彦『映画狂人日記)


「1959年夏」 遠く、開いたドアの向こうから話し声。椅子に座る男の背中が見える。息子の、試験の結果に異議を申し立てる父親と、試験を監督する立場の女性らしき2人の会話だとわかる。部屋の外のベンチに座る「息子」と思しき少年。試験は名門、建国中学への入学に際したもので、昼間部を希望していたのだが結局夜間部にしか入れない結果だったようだ。
生い茂る緑の木の葉がまばらに影を作る並木道、画面の消失点から並んで走りくる自転車。2人の顔がはっきりと見える前に場面は変わる。テーブルを前にし、眉をしかめタバコをふかす父親。氏名を読み上げる声が続く。ラジオからのものだろう。大学合格者の発表のようだ。浅い皿に盛られたかき氷が運ばれてくる。向かい合わせに息子。けだるそうに目をつぶり、椅子にもたれかかる店の娘。
ここで字幕によって、映画の時代背景が説明される。

1949年前後 数百万の中国人が
国民党政府と共に台湾へ渡った 
安定した仕事と生活を求めてのことだった
未知の土地で動揺する両親の姿に少年たちは不安を覚え 
グループを結成し自己を誇示しようとした

しかしこの説明はどこか余計な印象を与える。なぜなら、映像はすでにして記述的な歴史=物語という図式とは全く異なる位相を示しているからだ。映画が始まると同時に表示される年号は、これは過ぎ去ったいつかの光景なのだ、という感覚を裏付けるように遅れて理解される。そこでは過去感と現前性は矛盾なく同居している。しかし、そのリアリティは記録映像のそれとも異なっている。『クーリンチェ』の映像からはいかなる意志も感じ取ることができないからだ。カメラも、見、感じ、想い、考える主体もそこには存在しない。つまりどのような媒介も経ずにそれは直接与えられる。そういった意味においてわれわれが体験するのは世界の開闢、それが過去性を伴っているがゆえに、世界それ自体の記憶とでも言うべきものなのだ。
ここで私が言う「世界」とは「全て」のことである。それは、いかなる記述もその同一性を確定することが不可能であるにも拘らず、現前している以上のものはない、ということだ。言い換えれば、意味も、それを生み出す地平としての文脈=物語も存在していない、ということ。

物語的位相
しかし、『クーリンチェ少年殺人事件』もまたひとつの映画であり、物語を、それも他の映画と比較しても濃密といってよい水準の物語を持っている。奇妙なことに、このことはそれが「世界」であるということとの間に矛盾を生まない。
『クーリンチェ』を映画としてみたとき、そこにおいて世界は学校・教師、友人・敵対するグループ、恋人、家族といった他者たちからなる台湾(台北)社会とイコールであり、それはどこまでも外在的で、内部にいる人々を無慈悲に翻弄する。
主人公はスー。建国中学夜間部に通っている十五歳の少年。スーの本名はジャン・ジェン。スーは通り名で、シャオスー(小四)という四番目の子を意味する言葉から来ている。少年たちはグループをつくり、スーの周辺では「小公園」と「軍人村」の二つがあり、それぞれ対立関係にある。彼は前者に属している。スーはミンという同年齢の少女と出会い、互いに魅かれあっていくことで、両グループの対立に深く巻き込まれていくことになる。ミンは軍人村の側に属しているとみなされながら一方で、小公園のリーダーだった「ハニー」というあだ名の男の恋人であるという複雑な位置関係にいる。ハニーは現在海兵となり台北を離れているが、その不在は両グループにきわめて強い影響を与えている。それゆえ、ミンに近づくことは、小公園の側からは「ハニーの女に手を出した」といって攻撃され、軍人村の側からも「俺たちの女に手を出した」といって襲われることを意味する。そのような環境の中でスーはミンと関係を紡いでいく。
スーたち少年は学校・教師たちと敵対関係にある。教師は常に高圧的であり、生徒を見下している。反抗的な態度をとればすぐに懲罰を与えようとする。スーが教師たちに向ける眼差しは強く鋭利で、決して臆することがない。彼が問題を起こして学校に父が呼ばれたとき、父はスー同様に、しかし身体的な振る舞いによってではなく、教師たちを批判する。「そんな官僚的な態度では教育などできない!いい子も悪くしてしまう!懲罰など怖くはない!」と。二人で自転車を押しながらの帰り道。父は息子に向かって、「よく勉強して生きる拠り所を掴むんだ。未来を信じなさい。努力しだいで道は開けるから」と説く。息子は父を信頼し尊敬しているのが見て取れる。
スーの父母は外省人、つまり大陸から台湾に渡ってきた人間であり、元は上海の知識人だった。しかし現在では頼れる知人は限られ、生活に馴染めないでいる。ある嵐の夜。それは軍人村によって殺されたハニーの仇討ちにスーがヤクザと共に加わっている夜なのだが、父は問答無用で男たちに連行される。その先で父はひたすら知人たちとの関係を尋問され、そのことについて書くよう命じられる。その軟禁状態は幾日にもわたる。がしかし、連行のときと同じく唐突に、帰宅を許される。それらは、外省人思想統制を目的とした秘密警察の仕業だと示唆される。その後帰宅した父は精神を病み、夜中に起きだしては存在しない侵入者を大声で探し始める。
スーがついに退学を言い渡されたその日、父は教師を批判することはできず、処分の取り消しを請う。2人の帰り道はどちらもほとんど話すことがない。口を開くのは息子の方で、父を慰めるように、昼間部への編入を目指すと宣言する。
表向きには試験勉強のため、ということだが必ずしもそれだけではなく、おそらくはさまざまな精神的疲労のためにスーはミンと会う時間が極端に減少する。そのような中で、スーは友人であるマーがミンの母親を家政婦として雇うと同時に母子を自らの家に住まわせていることを知る。マー自身の口からミンとの関係について「適当に生活させて遊ぶだけだ」と聞き、スーは激昂し、復讐を宣言する。小刀を懐に中学の門前である大通りをうろついているところをミンに見つかり、非難される。ミンの発した絶望的な一言が引き金となり、スーはミンを刺し貫き殺してしまう。

若い男女の恋愛が外的な障害を伴い、それが悲劇として終わるのも、一個人の正義が集団に敗れるのも、ほとんど物語の定型であるといってよい。そもそも蓮実重彦の言うように物語とは定型としてしかありえないのだ。それゆえ作品の独自性はしばしばその語り口に求められる。

物語的映画 侯孝賢悲情城市

台湾の歴史をその題材としている、という共通項を持ちながら、その語りが『クーリンチェ』とはわかり安すぎるほどに異なっている作品がある。侯孝賢の『悲情城市』だ。
悲情城市』は、ラジオから聞き取れぬほどの音量で抑揚の欠けた声が流れる、ろうそくだけが明かりの薄暗い部屋の映像から始まる。険しい面持ちで仏壇に長い線香をあげる中年の男。奥の部屋には妊婦と産婆。そわそわと落ち着かぬ様子でタバコを吸い、手伝いの女性に産湯のためのお湯をせかすと、白熱灯がともる。「今ごろつきやがって」と悪態をつきながら、かさから垂れ下がっていた布をめくり挙げて結び終えると、男は画面から去り、産声。そして煌々とともる白熱灯だけの部屋に字幕が流れる。

1945年8月15日 日本の天皇は無条件降伏を宣し 台湾は五十一年にわたる日本統治を終えた

タイトルが大きく表示されると同時に、高らかに音楽が流れる。管楽器と打楽器からなる、単純だが、厳かで壮大な音楽。そして、高地から望む、遠く霞に煙るまで広がる入り江。
玉音放送、出産、音楽、風景。この構成は、歴史という物語を呼び込み、映像を比喩的に用い、ひとつの画面によって多くのことを語らせている。つまり、意味の密度が非常に高く、そのことは物語としての映画を豊かにし優れたものとしている。『悲情城市』は「歴史」とは異なる位相に特異性を持つ『クーリンチェ』と対照的に、歴史に依拠し、それ自体歴史そのものであろうとする作品なのだ。

技術的特異性 ジョン・アンダーソン/細川晋

画面の構成如何によって物語性が強まるとすれば、その逆もまた可能ではないか。だとすると「世界」という感覚を、その限定性の欠けた一語によって徒に神秘性を示すにとどまらず、分析的に記述し伝達することもできるだろう。
ジョン・アンダーソンは『クーリンチェ』の映像の特異性について次のように述べる。

フレームの使用法からは、自分が描いているところの人生に秩序を課そうとするヤンの試みが見て取れる。人物たちがキャメラの視界に出入りするとき、キャメラはしばしば引いたり、あるいは止まったままだったりする。視界のこの静止性は、監督自身も含めて人々が望むとおりに、人生が動いてくれないことへのフラストレーションを表わしているかのようだ。暗闇――とりわけ、軍人村での殺害が行われる際の、唯一の明かりの光の中を、斬られた身体がしばしば一瞬横切るだけの絶対的な闇――は、それ自体「クーリンチェ」の登場人物である。これは、そこに住まうものの魂を蝕む苦悩同様、決して逃れられないものである。(アンダーソン、113-114)

視界の静止性と暗闇。「クーリンチェ」の画面の特徴としては疑いようのないものだ。しかしアンダーソンはそれを物語の強化機能としてみなしている。つまり、世界=物語と、その内側の人々との関係を表象するものとして。アンダーソンにとって、「クーリンチェ」は「映画」でしかないのだ。
同じ特徴について、細川晋は本論の仮説に近づいた議論を展開している。いくつか引用しよう。

実のところ、この映画の真の衝撃は、物語の残酷さ以上にそれにふさわしい語りの残酷さがもたらすものである。この映画は、見通しをさえぎり、諸細部を宙吊りにする諸々の欠性を積極的に導入し、人物を中心とする語りの効率に終始抗い続ける。一方で、それらの欠性は、驚くほど凝集された画面内の事物や出来事、また画面外のせりふ、音声を通じて得られる複合的な情報を細部に至るまで動員し、想像上の空間で堅密に語りに統合する想像力によって補われる。では、それらの欠性を便宜上分類しながらその事例を見てみよう。

まず《視覚的欠性》に、光量不足の暗部にある事物の識別不能性が挙げられる。この映画の照明では一般に、人物や事物を中心化する以上に、暗部と光源が強調されるのだ。さらに、縦の構図における画面奥の事物の識別不能性、同一ショット内で同時多発的に生じる特定不可能なアクションの複数性による脱中心化という特徴が指摘できる

この映画には説明的要素に選考するアクションを不意に呈示する、語りの宙吊りとでも言うべき編集が顕著である。その典型が、見られるものと見るものの示される順序の転倒だ。またとりわけ未知の人物の導入に際し、人物が画面奥に遠ざけられ、激しく動き回り、顔を見せず、時には画面から排除され声のみでその存在を示すなど、人称と身体を統合する同定指標を欠く事例に、いわば《説話上の欠性》が見て取れるだろう。

もちろんここにおいても「クーリンチェ」は未だ「映画」として経験されている。しかし、映される人物・事物がその中心からはずされ、照明=光が強調されるという指摘(視覚的欠性)と、同一画面、画面間の統合が欠け、語りが宙吊りになっているという指摘(説話上の欠性)は、「世界」という感覚とその定義を裏付けているといっても決して誤読ではないだろう。

世界、存在しないカメラ
ここで長谷正人の秀逸な映画論を参照しよう。彼の映像の本質をめぐる議論は、ほとんどエドワード・ヤン映画のためにあるといっても過言ではない。長谷は、その書物の始まりにベルグソンを引用する。(田島節夫訳、ベルグソン全集第二巻、白水社

しかし仮に写真があるとしたら、写真は事物のまさしく内部で、空間のあらゆる点に向けてすでに撮影され、すでに現像されていることを、どうして認めないわけにいくであろうか。どのような形而上学、いや物理学も、この結論を避けることができない。 『物質と記憶』 (p.44)

 光線とは存在しないカメラであり、世界とは常にすでに撮られてある写真だというのである。そして、機械であるカメラによって写し取られる写真・映像の本質もまた、そこにあるのだと。「カメラという機械は、けっして…人間的な関心によって世界をとらえるわけではない。…自動的に、自分の前にある事物が発した光をそのまま受容するだけである。」それゆえに、そこに開示される視線は、絶対的に受容的なものであり、その対象はどこまでも平等で、それがフレームに収まるのは偶然以外の何物でもない。そして他ならぬこの意味において『クーリンチェ』は「世界」なのだ。先に挙げた、『クーリンチェ』の技術的特性である、《視覚的欠性》及び《説話上の欠性》はここから要請されたものだと言えよう。しかし、そのような視線にわれわれは多くの場合耐えることができない。なぜならその視線の元では、あらゆるものが平等であると同時に、全てが無意味だからだ。その無意味さを克服するために映像は編集され、そうでないもの、例えば長谷がカメラ的視線の純化された例として挙げる、リュミエール兄弟の『海水浴』などはそこに反復を見出され身体的快楽へと還元される。ところが、『クーリンチェ』においてはどちらの形でも「無意味さ」は克服されない。精確に言えば先に述べたように物語的な位相は『クーリンチェ』にも存在している。しかし、その物語は映画から抽象され記述された後のように自明に存在しているのではなく、無根拠な、どこまでも偶然的な画面の連続が、事実そうでしかあり得ないこと、それを奇跡として受容すること、そのことによって、偶然性の極においてそれが必然性へと転換する、人々が「運命」と呼ぶ事態の上にかろうじて存在しているのだ。

この世界という私 

「世界」を他に並ぶもののない一つの「世界」として限定するものはその運命に他ならない。
始めに述べたように、「世界」とは全てである。にも拘らずそこには限定性が覚知される瞬間があるのだ。ショットの無根拠な選択性も常に限定性=運命性を帯びているのだが、『クーリンチェ』においてそれは半ば自明な体験である。それがもう一度偶然性の極へと振れ、「世界」が危機に陥るシーンがある。そのシーンは物語的な位相においても映画のクライマックスであり、映画のタイトルどおりの事態が引き起こされるシーンでもある。

事件が起こる直前、スーは学校に隣接する映画の撮影所にいる。友人のモーに、マーを決闘のため呼び出すよう頼んでいたのだ。しかし、やってきたモーは、マーが日本刀を持ってきたので勝ち目はない、明日にしよう、と告げて去っていく。ひとりになったスーに映画監督が声をかける。「この前の女の子を呼んできてくれないか。引っ越してどこにいるのか…」と。スーがミンに出会った日、2人は撮影所に忍び込んだ。天井に張り巡らされた通路から撮影風景を除いていた2人だったが、逃げ出すときにミンが見つかる。彼女は直前に足を怪我していたのだ。監督に目をつけられ、彼女はカメラテストに行くことになり、後日演技をすることになった。その後、二度と撮影所に行くことのなかったミンだが、監督はミンのことをひどく気に入っていた。「泣くのも笑うのも自然でとてもいい」と。その言葉を聞いてスーはこう返す。「自然?そんな見分けもつかずに映画を?笑わせるよ」
夜になり、学校の前で小刀を懐に待ち伏せするスー。それをミンが見つける。

どうしたの? なぜ学校へきたの? それ何? やめて何なの? マーを捕まえに? そうなんでしょ? ダメよそんなの

ミン 君のこと全部知ってるよ でも気にしない 僕だけが知ってて君を助けられる 君には僕だけだ

 スーの撮影所以降の発言は、世界は一つであり、後は立ち位置の問題にすぎないという考えが前提にある。特別な場所に立てば、他者の真実を知ることができる、と。しかしそれはすぐさま否定される。

あなたなら私を変えられると? あなたも同じね 意外だわ ほかの人と同じ 親切にするのは私の愛情がほしいから そして安心したい 自分勝手ね 私を変えたい? 私はこの世界と同じよ変わるはずがない あなたは何なの?

最後の言葉を言い終わる前に、スーは抱きつくようにミンに体当たりする。

君こそなんだ!恥知らず!

泣き叫びながら刀を持った右半身を繰り返し押し付ける。ミンの体が崩れ落ちると、視界は一気に引く。二人は広い通りの中央、傍らには大きな木。スーがミンを見下ろし呟き始める。

ミン 立てよ 立ってくれよ

呟きはやがて叫びに変わる。スーの腹部は真っ赤に染まり、遠くからその鮮やかさだけが際立つ。 最後まで、スーはミンの言葉が意味することを理解できなかった。というより、おそらくは理解を拒否していた。実のところミン自身でさえ自らの言葉がもたらす効果など全く意図になかったに違いない。
「私はこの世界と同じよ」と彼女が言った瞬間、それまでの四時間弱の間、一切、彼らの心、あるいは内面と呼ばれる領域に触れえなかったことに思い至るだろう。ミンが台湾=社会のような外的環境と同じ意味で「この世界」という言葉を発したのだとしても、それはスーの世界との隔絶をあらわにし、同時にその2人に投げかけられる一貫して無関心な視線は、映像が開示してきた「世界」はミン、スー、そのほか全ての人々のそれを内含しておらず、否定的に示すだけだとわれわれに気づかせるのだ。
しかし、物語の悲劇性にも拘らず、徹底的に孤立した世界は肯定されたままだ。『クーリンチェ少年殺人事件』という映画が教えてくれるのは、「世界」はそれが「世界」である以上、常にすでに肯定されているということ。けれどもそれは決して消極的な事態ではなく、全力で表現されねばならないということなのだ。
『クーリンチェ少年殺人事件』は現在その鑑賞がひどく困難な状況にある。一人でも多くの人がこの美しい映画に出会えることを祈って、本稿を終える。


参考文献

アンダーソン、ジョン 篠儀直子訳 『エドワード・ヤン』 青土社 2007年
蓮實重彦 『小説から遠く離れて』 河出文庫 1994年
       『映画狂人日記』 河出書房新社 2000年
長谷正人 『映像という神秘と快楽』 以文社 2000年
楊徳昌電影読本』 シネカノン 1995年

他者を愛せないということ・自己愛という牢獄 

素粒子 (ちくま文庫)

素粒子 (ちくま文庫)

 

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人は常に成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受け止めること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと―社会においても個々人の生活においても最も強力で深層に潜む検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。
言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。例えば、「戦争」というような言葉。
自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと、自分については全く、または、少なくとも持てる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をすること。しばらくの間、よその国に住むこと。決して旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。例えば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。
この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さな形ではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。
暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居を持たないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。他の諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
恐れないことは難しいことです。ならば、今よりは恐れを軽減すること。
自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。
他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません――女性の場合は、いまも今後も一生そういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。
傾注すること。注意を向ける、それが全ての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、自らの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください……。

2004年2月                   スーザン・ソンタグ


素晴らしい文章だ。真っ直ぐで、強くて、正しくて。私の愛する小説家が新しく始めた連載で引用していて、私はこの文章に出会った。そして彼がそこで言っているように、この文章を読み終えたらまず、窓の外に広がる景色をゆっくりと、何も考えずに眺めた。ただ感動して、本当にそうすることしかできなかったのだ。しかし、少しして、悲しくもなった。それはこのソンタグの文章がその素晴らしさ(真っ直ぐで、強くて、正しい)ゆえに、届かせることのできない人々と、そのような人々について書いた小説について私が考えていたところだったからだ。
その小説は『素粒子』(ミシェル・ウエルベック)。初読はもう一年近く前のことだが、最近映画化されたものを見て、かなり上手く映像化しているものの、小説の魅力が決定的に損なわれているという感想を抱き、あらためて読み返したくなったのだった。
素粒子』の主人公はブリュノとミシェルの異父兄弟。彼らこそソンタグが言葉を届かせることのできない、屈折して、間違ってはいるかもしれないが非常に困難な場所で生きている人間であり、彼らに届くような言葉もまた必要なのではないかと考えさせられるのだ。


1.兄、ブリュノ

兄、ブリュノは高校教師。ボードレールマラルメを教えている。42歳。性的欲求に取り付かれている。といっても最近に始まったことではなく、彼の生涯はほとんどそれによって規定されている。
彼にとって、性的欲求を受け入れてもらうことこそが自己の承認であり、それはきわめて短絡的な表現へと向かう。その欲求の達成のために社会的に承認された迂回路としての恋愛を、戦略としても取ることはない。なぜなら彼が求めているのはあくまで、無条件で全的な承認だからだ。それはほとんど赤ん坊と代わるところがない。他者を肯定する条件が極めて記号的なもので、逆に自らが承認されるための努力は全くせず、時には差別的発言や過剰な道化的振る舞いといった、嫌われようとしているとしか思えない行動へと走る。彼の承認への欲求は二重化している。つまり、欲求自体の承認と、短絡的な表現しかできない自己の承認。前者は刹那的なものであり、後者はそのような欲求の挫折の積み重ねとしての自己、という物語的なもの、すなわち他者との関係の構築の上に始めて成立する通時的なものである。それゆえに、もし彼がうまく振舞って、女性の愛情を手にしたとしても、それはまったく自身の肯定には結びつかない。彼がはじめから他者を不快にさせるような仕方で関係を求めるのも、そうしなければ過去の挫折まるごと肯定してくれる他者には出会えないからである。それはすなわち、常に100パーセントの肯定しか求めないということであり、そうしてくれる他者以外はほとんど他者として認めないということになる。いまだ挫折の物語としての自己が堆積していない幼い頃、自己承認の求め方は、「純粋」というポジティブな言葉で語りうるくらいにきわめて単純なものだった。

ブリュノの最初の記憶は四歳のときのものだ。屈辱の記憶である。当時ブリュノは、アルジェのラペルリエ公園の保育園に通っていた。秋の午後、女の先生が男の子たちに、木の葉で首飾りを作るやり方を説明したところだった。坂の途中に腰を下ろして待っている女の子たちは、すでにして女ならではの愚かしい忍従のしるしを示していた。たいがいは白い服を着ている。地面には黄金色に紅葉した木の葉が散らばっていた。栗やプラタナスの木が多かった。ブリュノの仲間たちは一人また一人と首飾りを完成させ、それぞれお気に入りの女の子の首にかけにいった。ブリュノは手間取っていた。葉っぱが破れてしまい、手の中で何もかもばらばらになってしまうのだ。ぼくだって好かれたいんだってこと、どうやったらわかってもらえるだろう?首飾りもなしで、一体どう説明すればいい?ブリュノはかんしゃくを起こして泣き出した。先生は助けに来てくれなかった。もう保育時間はおしまいで、子供たちは立ち上がって公園を去り始めていた。やがて保育園の門は閉められた。(55)


これから後もブリュノはずっと、「首飾り」を作ることができなかった。それゆえにいつも「首飾り」なしで「ぼくだって好かれたいんだってこと」を伝えなければならなかった。ヒッピーだった母親に捨てられて、祖父母によって育てられたブリュノだったが、四歳のときに祖父が、その六年後に祖母がなくなり、彼は学校の寄宿舎に入れられることとなった。そこで飽きられるまでにいじめ、辱めつくされて、ようやく解放されたころ、女の子のことが気になりだした。

第四学年になると、シネクラブに登録することができた。映画は木曜の夜、男子寄宿舎の催し物ホールで上映された。そこには女の子たちもやってきた。十二月のある晩、『吸血鬼ノスフェラトゥ』が上映されたとき、ブリュノはカロリーヌ・イェサヤンの隣に座った。映画の終わり近くなって、それまで一時間の間思い悩んでいたブリュノは、カロリーヌの腿の上に左手をそっと置いた。至福の数秒(五秒?七秒?いずれにせよ十秒以上ではなかったはずだ。)が過ぎたが、何も起こらなかった。彼女は身動きしない。ブリュノは体がかっと熱くなり、今にも気を失いそうだった。それから、何も言わず、彼女は優しく手を押しのけた。ずっと後になって、どこかの娼婦に一物をしゃぶらせながら、ブリュノはこの恐るべき幸福に浸された数秒間のことを、何度も繰り返し思い出すだろう。カロリーヌ・イェサヤンがそっと手を押しのけた瞬間のことも思い返すだろう。この少年のうちには、まだ性行為や性の享受とは無縁の、とても純粋で愛情深い何かがあったのだ。彼を動かしたのは、誰かの優しい体に触れ、優しい腕に抱きしめられたいという単純な欲望だった。(73-75)


「カロリーヌ・イェサヤンの腿に手を置いたとき、ブリュノの気持ちとしては彼女に結婚を申し込んだのと同じだった」。この逃げ場のない切実な欲求の挫折は、彼のその後を決定付ける経験となってしまった。
彼は母親とめったに会う機会はなかったが、夏休み彼女の別荘に出かけたことが二度だけあった。そこで母、ジャニーヌは、旅の若者たち、<ヒッピー>と呼ばれる若者たちを大勢養っていた。ブリュノは彼らを、「プチブルの世界」よりも閉鎖的な、性的強者しか受け入れない集団だと感じた。そして自分は決して<ヒッピー>の仲間に入れてもらえないだろう、と。同じころ、彼はカフカを読み始めた。

最初は寒々しさ、冷気が忍び寄るような感じを覚えた。『審判』を読み終えたときは、痺れたような、ぐったりした感覚が数時間も続いた。たちまちのうちに彼は、このスローモーションの世界、恥辱にまみれ、人と人がとてつもない空虚の中ですれ違い、互いの間にいかなる関係も結び得るとは思えない世界が、まさしく自分の精神世界そのものであることに気がついた。それは緩慢で、冷え冷えとした世界だった。ただしひとつだけ熱いものが、女たちの脚の間にあった。だがそれは彼の手には届かないものだった。(85)


このときから、彼にとって性的な関係のみが他者との関係になってしまった。その後、ところかまわず自慰行為にふけるなど、不毛で犯罪に隣接した地点ではあるが何とか生きてきた。
その後、彼は結婚し一人の息子ももうけた。しかし結局のところ、彼は他者を記号的な存在(大きなおっぱい、丸々とした尻、愛想のいい唇)としてしか見なせないままだった。妻が、息子が、不幸になっていくのを見ながら、彼はようやく、自身がもはや抜け出せないほどに自己愛にまみれた人間であることに気がつくのだ。そんな罪責感から逃れるように、<ヒッピー>の生き残りたちが集う「変革の場」へと向かう。そこでブリュノはクリスチヤーヌという名の女性と出会う。


2.弟、ミシェル

弟、ミシェルは兄と対照的だ。まず生涯を通じてほとんど性欲を感じたことがない。肉体的な反応がないというわけではないのだが、彼にとってそれはきわめて些細なことである。「ミシェルの場合、ペニスは小便の役に立つだけだった。」そして兄が、女性からの愛情を求め挫折し続けたのに対し、ミシェルは幼いころから従妹のブリジットや幼馴染のアナベルと親密な関係を築いていた。科学書哲学書、冒険小説を読みふけり、知識と思考を積み重ねていった。人付き合いはよくないものの、仲間に嫌われもせず、いじめられることもなかった。それゆえに、か、それ以前に、か、彼には他者から承認を受けることにほとんど興味がない。齢を重ねるごとに美しくなるアナベルは、ミシェルのことをほとんどフィアンセだと感じていた。しかし、ミシェルには性欲もなければ愛情もなかった。アナベルやブリジットのことは好きだったが、それだけだった。いや、正確に言うならそうではない。彼はアナベルのことを愛したかった。けれど、恋とか愛とかいわれる強い力が彼のうちから生まれてくることはなく、そのような力の渦巻く世界から「数センチ分の虚無で隔てられ、甲羅かよろいかぶとにくるまれたような気が」していた。祖母(父親の母親)が亡くなったときの彼の奇妙な反応は、彼が単に無感動な存在ではないことを証し立てている。

ミシェルは自室に戻った。せいぜいほんの二十センチずつの、小刻みな歩幅で。ブリジットがベッドから起き上がろうとしたが、マリ=テレーズがそれを制した。二分くらいたつと、ミシェルの部屋から猫の鳴き声のような、叫び声のような音が聞こえてきた。今度はブリジットは部屋から飛び出した。ミシェルはベッドの下で丸くなっていた。両目は見開かれていた。表情には悲しみもなければ、人間的感情に似た何者もなかった。その顔にはただ、動物的な、見るもおぞましい恐怖の念のみが浮かんでいた。(128)

その後ミシェルもまた兄と同じように、けれども異なる原因で他者と出会うことなく長い年月を過ごした。その間、世界で最も優秀な物理学者となり、分子生物学者へと転向、人間の意識を解明しようと試みる。そして、祖母の墓が移動されるという報を受けて戻った故郷で、彼はアナベルと再会する。


3.クリスチヤーヌ
ブリュノが訪れた「変革の場」とは、

五月革命世代のあるグループが、メンバーの一人の親が所有する広大な敷地に「ユートピアを具体化しよう」とのあっぱれな目的のもと建設した一種のコミューン。(中略)「よりつつましく、ヴァカンスのための場所を作り、趣旨に賛同する人々が夏の間、その原理の実地への適用を体験できるようにしよう」という目的で開設された(中略)。原理とは「自己管理、個人の自由の尊重、直接民主制」の原理だという。「同時にまた、共同作業や、創造的な出会いを、ヒューマニズムと共和主義の精神で促進する。そしてさらには、創立者の一人の言葉に従うなら、『思いきりセックスする』のだ。」(野崎,215)

つまり、彼が若いころに出会った<ヒッピー>思想の成れの果てともいうべき場所だ。そこで出会ったクリスチヤーヌもブリュノのように性的欲求によってその生涯を支配されてきた人間だった。彼女はブリュノの性的欲求を、そして彼の惨めな物語を受け入れる。彼は彼女とともに年老いて、「肉体的色恋のコメディーから卒業」できるとさえ思う。「変革の場」を去る際に、二人は再会の約束をし、一ヵ月後それを果たす。そしてヌーディスト地区へと向い、乱交に耽る日々を送る。彼はほとんど幸福を確信する。長い間閉じこもっていた自己愛の牢獄からようやく脱出できるように思う。ところが、アクシデントが起こる。乱交の最中クリスチヤーヌは痛みのあまり気を失いかける。救急車で病院へと運ばれるが、手遅れであることを知らされる。長期間にわたる酷使のために、彼女の尾骶骨は完全に壊疽していたのだ。クリスチヤーヌ自身は知っていた。遅かれ早かれこのような結末を迎えることを。彼女は一生車椅子の人生を決定付けられた。十日後二人は再会。そして、一度は「僕の家に引っ越して繰ればいいさ。パリに出てきて。」というブリュノだったが、クリスチヤーヌに見つめられ、「本当にそうしてほしいの?」とたずねた言葉に彼は答えなかった。三十秒の沈黙ののち、彼女に言われてしまう。「無理しないで。あなたにはまだあと少し人生が残ってるんだから。身体障害者の世話をして過ごさなくてもいいのよ。」その数日後に、彼女は自殺。葬儀場へと向かうブリュノ。

棺はまだ開かれたまま、架台つきのテーブルに置かれていた。ブリュノは近寄り、クリスチヤーヌの遺体を見、そのまま後ろに倒れた。頭が地面に衝突した。職員たちが慎重に抱き起こした。「泣きなさい!泣かなきゃだめです!……」年長の職員が熱っぽい口調で励ました。彼は頭を振った。泣けないことはわかっていた。クリスチヤーヌの体はもはや動くことも、話すこともできない。クリスチヤーヌの体はもはや愛することができない。この体にはもはやいかなる運命も閉ざされている。しかもそれはすべて彼のせいなのだ。今度という今度は、カードを切りつくし、ゲームは打ち止め、最後の札が配られたのに、決定的失敗に終わったのだ。両親がそうだったように、彼にもまた愛することはできなかった。(340-1)

ブリュノは結局自己愛の牢獄から抜け出すことができなかった。「愛することはできなかった」という嘆きも、自己愛の内側からのものに過ぎない。彼は発狂し精神病院へと入る。そしてまた、ブリュノとはまったく対照的な弟、ミシェルもほとんど同じような結末を迎える。


4.アナベル

アナベルと再会したミシェルは、彼女がいまだ独身で子供もなく、まったく幸せな生活を送ってこなかったことに驚く。「もう遅すぎるっていうことはわかってる。それでも、やってみたいの。わたし、七四年度の通学用定期券、まだ持ってるのよ。一緒に高校に通った最後の年。それを見るたびに泣きたくなる。どうしてここまで悲惨なことになったのかがわからない。どうしても納得できないのよ。」アナベルの人生はブリュノとは異なった形で過去に縛られていた。彼女の人生とは結局のところ、ミシェルと共にしかありえなかったのだ。

彼は何とか貫通することに成功したが、本当に好きなのは彼女のそばで眠ること、彼女の生きた肉体を感じることだった。ある夜彼は、ルーアンの町、セーヌ右岸にある遊園地の夢を見た。鉛色の空を空っぽの大観覧車が回り、その足下の川に錆びた貨物船がもやってあった。彼は派手な、とはいえ冴えない色調のバラック小屋の間を進んでいった。凍てつくような雨混じりの風が顔を打った。遊園地の出口まで着たとき、カミソリを振りかざす革ジャンの若者たちに襲われた。数分間なぶりものにしたあげく、彼を残して去っていった。両目から血が流れていて、これで一生目が見えなくなってしまったことがわかった。右手も半ば切断されていた。それでも彼には、出血と苦痛にもかかわらず、アナベルは最後までかたわらにいてくれるだろう、自分を永遠に愛情で包んでくれるだろうということがわかっていた。(315)

それにもかかわらず、ミシェルもまた他者を、アナベルを愛することはできなかった。研究のためアイルランドに向かわなければならない旨を伝えると、アナベルは泣きながら、「あなたの子供がほしい」と訴える。「人生を愛してもいないのに、子孫を残そうだなんて」と呟くものの、彼は申し出を受け入れる。けれど、その結果アナベルの子宮がんが発覚し、子宮は摘出。子供を生むことができない体になってしまった。がんの腹部への転移が見つかり、治癒の可能性がないわけではないものの、きわめて困難であることを告げられる。その事実に対して、ミシェルが無感動だったというわけではない。

手術のあとがまだなまなましく、痛みも強かったのでセックスするのは無理だった。その代わりに彼女は彼を長々と腕の中に抱きしめた。静けさの中で彼の歯が鳴る音が聞こえた。ふと彼の顔に手を伸ばしてみると、涙で濡れているのがわかった。彼女は彼の性器をそっと撫でた。それは興奮を誘うとともに気持ちを静めてくれることでもあった。彼はメプロニジンを二錠飲み、やがて眠りに落ちていった。(380-1)

アナベルもまた自ら命を絶ち、ミシェルは研究に没頭する。人間の完全な自己複製の理論を確立したのち、彼も消息を絶つ。

素粒子」の筋は簡略化してしまえばほとんど三文小説のそれである。ただ一点、それが徹底して自己の、自己愛の内部、すなわち他者を愛することの不可能性を描いたということを除けば。これが彼らの関係がハッピー・エンドに終わる映画と小説をわける、唯一かつ最大の違いでもある。もはや「愛」を直接的に描こうとしても薄っぺらなものにしかなり得ないとウエルベックは考えているのだろう。このような態度をして中原昌也は、「小説の本当の誠意」と言い、ウエルベックを「世界で唯一、信じられる作家」と評している。しかし、それが自己愛に耽溺した私のような、一部の人間以外に読まれる価値はあるのだろうか。たとえば「愛」というものを当然のように経験済みのものにとって。長たらしい、偽悪的で、その偽悪さも含めてナルシスティックな文章によって成り立つこの小説が。『素粒子』を評価する論者の多くは(野崎歓巽孝之など)そのイデオロギッシュな、あるいはジャーナリスティックな価値を称揚する。キリスト教を源とする道徳、近代が生んだ個人主義自由主義の元での肉体的快楽、哲学をはじめとする人文科学のよりどころとなる精神。それらすべてが科学によって、人間をほとんど機械同様に制御できる世界の到来、すなわち、「自らの身代わりを作り出すための条件を自ら管理することのできる、現在までのところ宇宙で唯一の動物種」となり、セクシャリティはもはや不要、ただし性的快楽は常に生み出すことができる新人類を、ミシェルという天才科学者を通じて描いたこと。それが現代という時代への有効な警鐘となっている、と。しかし、それもやはりミシェルという個人の苦悩から生まれたことに間違いはなく、それを切り離して『素粒子』は読まれるべきではないのだ。もし、『素粒子』という小説に普遍的な価値があるとすれば、自身が自己愛に満ち満ちた小説であることに自覚的だということ。つまり、自己愛に耽溺している間は、決して他者を愛しているとは言わないこと。それは逆に他者を本当には憎むこともできないということだ。希望でも絶望でもないゼロ地点が存在するということ、時に絶望よりも困難なその地点を、『素粒子』は示してくれるのではないか。

参考文献

ウエルベック,ミシェル 野崎歓訳 『素粒子』 筑摩書房 2006
ソンタグ,スーザン 『良心の領界』 NTT出版 2004
中原昌也中村佳子柳下毅一郎) 『ミシェル・ウエルベック、不可能の探求者』 「文学界五月号」 2007
野崎歓 『フランス小説の扉』 白水社 2001