身体に対する態度

Coyote2007-07-24

 僕の記憶と想起の能力がいかに信用ならないものであるかを痛感。描写力のなさも。書くのは楽しいけど。以下は授業で提出したレポートの転載。
                                                 
 7月23日20:00より港区西麻布、六本木ヒルズ近くのイベントスペース「Super Deluxe」にて、川口隆夫 と 山川冬樹 によるパフォーマンスアート・ショー『D.D.D. -私の心臓はあと何回鼓動して止まるのか-』を鑑賞した。
   地下一階にある会場に入っていくと、音楽が聞こえ、横一列に人だかりが見えた。流れていたのはニルヴァーナのようなへヴィ・ロックだ。コンクリート打ちっぱなしで天井にはライトや音響機器の配線、半透明のゴムチューブがぶら下がり、黒い鉄骨もむき出しになっていた。人だかりの向こう側が見えるところまで移動すると、両腕を左右いっぱいに伸ばした程度の長さを四辺としたテーブル(実際は120cm×120cm)を中心にして、コの字に観客が座っていた。最前列とテーブルまでの距離は2メートルもないだろう。とても近い。観客がいない左側にはドラムセットとマイクスタンドのようなものが置かれていた。
  しばらくして音楽が止まった。左奥から全身真っ白な男が登場。滑稽だ。顔にはプロレスのマスク。肌が見えたのは目元・口元だけだったろうか。テーブルの対角線上を前転。それを交差するようにまた前転。何度か繰り返した後立ち上がり、叫んだ。呼応するように爆音ノイズギター。かき鳴らしているのは臀部まで髪を伸ばした上半身裸の男。耳障りではない。足元から腹の奥に響く音だ。時折踵でシンバルをぶったたく。連打。ひどく興奮してきた。彼も叫ぶ。というよりは奇妙な声を発する。暴力的な読経とでも言えばいいだろうか。後にわかるのだが、これは「ホーメイ」なのだった。どうやら挨拶代わりだったらしく、 照明が暗くなって右側の壁に赤く文字が書かれる様子が投影された。「Round1」直ちに消されて、残る明かりはテーブル真上の弱々しい電球のみ。本編が始まるようだ。
 テーブルの上にぼんやりと白い肉体が見える。その動きは窮屈で、脱皮を思い起こさせる。別の生き物のようだ。心音とマイクを通した呼吸の音。まっすぐに直立すると、それはただの滑稽な一人の男の肉体に戻る。が、直ちに拘束的な人間の形ではないような動きへとまた戻る。規則的に鳴り続ける心音と呼吸音のせいか、脱皮というよりさなぎの中で身体を再構成している生き物に見えてくる。また直立する。人間に戻る。しかし今度は精神的な苦悩、不自由を感じさせる。本編が始まってからずっと感じていたのは、目の前で動いているのは人間の身体なのだが、それが異様に大きく見えるということ。
  照明が消える。拍手と歓声。Round1が終わったようだ。照明が戻る。テーブルの脇に座って水を飲む白い男。呼吸はかなり荒い。やはり一人の人間だったのだということを実感させられる。そしてまた、これもパフォーマンスの一部なのだと思う。
  時系列に沿って書いていきたかったが、そのように記憶していないので、印象に残った部分を記述していくことにする。
  テーブル右奥から対角線上に光線が刻まれる。このとき鳴っていたのはひたすら激しい音楽だったか。ホーメイ、ノイズギター、ドラム。光にさらされた身体は、恥ずかしさを感じさせる。このときすでに腕と脚は露出していただろうか。個々の筋肉は美しい。しかし何より美しかったのは、奥の壁に大きく映し出された影。生身の身体に付随する滑稽さ、弱々しさは完全にそぎ落とされ、その上で生命感は失わない。
  うって変わって、美しい音楽が流れると、身体も美しく見えてしまった。長音で構成されたエレクトロニックな音楽としか形容できないが。
  心音にあわせて明滅するライト。激しい動きも静止画像の連続になる。圧巻。

 踊り手は全裸でテーブルの上に立ち尽くす。脚でリズムをとると、陰茎もそれに合わせて上下する。片腕を前方に伸ばし、骨から肉を分離するように震わせる。右腕なら右半身が、左腕なら左半身が、その余震で震える。それだけの動きが、特別に体に残った。 
  それまで一言も発しなかった音楽担当の男が、心臓の解説を始めた。生物の時間に見た心臓の解剖図が映し出される。右心室、左心室、右心房、左心房。心臓の一部分が一定のパルスを発している。血液の逆流を防ぐために弁は開いて閉じてを繰り返す。それが心音。「私の心臓はあと何回鼓動して止まるのか。」どこかの省庁が発表している「生命表」とやらが映し出される。大量の数字が並んでいる。現在の年齢と、寿命の期待値が書かれているそうだ。問いの答えは、分換算した期待値と、毎分の心拍数の積。鳴り響く心音。テーブルの上に踊り手が、たらいを置き、頭上に水のパックを取り付ける。開栓。計測スタートの合図だ。心音とそれを数える声。同時に踏み台昇降を始める踊り手。上方からは水が流れ落ちる。「イチ!ニィ!サン!シィ!」リズムはまるで合わない。数え間違いは許されない。鳴り続ける心音。水が止まる。計測結果は89。問いの答えは、いくつだったのか。 
  右の壁に口を大きくあけた男の顔が映し出されると、映像はその中をためらうことなく進んでいく。胃カメラだ。ピンク色のひだひだ。血管のわずかに浮くその壁に粘液が膜を張っている。人間の身体内部はここまで長く広いのか、と驚かされる。カメラは奥へ奥へと進み続ける。この間踊り手は全裸のままテーブルに横たわる。やがて広い空間に到達する。さらにいくらかさまよった後に映像は消えた。すると、「アブラいくぞ〜」のだみ声。何が始まるのか。ひたすらポンプを押す男。中にはアブラ。天井に張り巡らされたチューブへとつながる。最前列の観客にビニールシートが渡される。ついにアブラが放たれた。全身に浴びるように踊り狂う身体。かき鳴らされるノイズギター。咆哮。その様相は歓喜に充ちていた。
  パフォーマンスは終わった。おそらく約1時間。力の限り、拍手。これほどに強く、長く手を叩いて賞賛と喜びを表明したのは初めてだったかもしれない。