まっすぐな声

そうかもしれない

そうかもしれない

齢八十を越え、貯蓄もなく、五十年連れ添った妻は「脳軟化症」に侵され現実から遠ざかり、自らも口腔に激しい痛みを覚え、入院生活を余儀なくされる。しかし、それらを語る言葉は、まっすぐで、健やかだ。同じように老いの渦中に書かれた、武者小路実篤小島信夫古井由吉らの小説とはその点において決定的に異なる。読みながら、耕治人は自らを物語ること、それもその境遇とは相反した、徹底して健やかな言葉によって語ることによってしか、自分を保てなかったのではないか。そのような思いがよぎる。すぐさま、僕は一人の詩人を思い出す。須藤洋平。第12回中原中也賞受賞者。トゥレット症候群という病と闘う彼の言葉も、まっすぐで、時に健やかなのだ。

芸術なんだ!僕の身体は芸術なんだ!
それがその時の僕の唯一の逃げ場だった。
「生きるということは恐ろしいね」
祖母が畑にはびこる雑草を見て言っていたことを同時に
思い出していた。
(「みちのく鉄砲店」より

何故、書くのか。何故、物語るのか。その答えが、彼らの声のうちにあるような気もする。