辻

呼吸をゆっくりと深めて、その速度で文字を追う。すると、感覚の焦点もまた文字を通り抜けてその向こうの世界に合わさる。いや、それよりも先に声がするのだ。文字の向こう側から。その声は語り手の声だ。その、物語の。語りには無論内容がある。幾人か人も、出てくる。しばらくすると、声よりも、その語られている情景に体がなじんでくる。なじんでくるとしかし突然、その情景はいったい誰の見たものなのか、わからなくなる。声に導かれて辻に差し掛かり、ふと振り返ると、先ほど通り過ぎたはずの道がまるで見知らぬもののように感じてくる。語っているのは誰なのか、聞いているのもまた、誰なのか。読んでいる私も誰なのか、わからなくなる。持ち主はわからぬが、ただ感覚は開かれていく。高熱にうなされて、おぼろげな意識のまますすった粥の舌触りも、射精を堪える男の背につきたてた爪も、物の線という線が狂ったように歪んで、醜怪に、ギザギザに折れ曲がった視界も、私のもののように思われてくる。いつか私の生まれる前、私は別の私だったのではないか。それならそれで納得がいく。しかし、今このとき、私は同時に、別の場所で別の私なのではないか。意識の混濁の深みに迷い込み、もう戻れぬかと諦めかける頃に、物語はふいに断ち切られる。そこには新たな物語の始まりが見えるが、私はそこへ入っていけない。断ち切られた物語はそのことを知らぬまま、私の感覚を占め続けるからだ。物語=虚構の記憶として私から深く遠ざかるまで、あるいは私がその淵から浮き上がるまで。