小説を小説たらしめるもの

日本文学盛衰史

日本文学盛衰史

面白かった。すっごく面白かった。やっぱり僕にはその「面白さ」を言葉で表現することができないけど、(いつかはできるようになるのだろうか)
でも、一つ言える事があって、(的外れかもしれないけど)ここには「小説を小説たらしめているもの」がある(それも明確な形で)ということ。
この『日本文学盛衰史』は何度か「小説」として危うくなる。しかし、最後までちゃんと「小説」であり続けるのだ。高橋源一郎は、『一億三千万人のための小説教室』のなかで、世間で出回っている小説のほとんどは「小説のようなもの」に過ぎないといっている。では、「小説」と「のようなもの」を分けるものは何なのか。それこそが、「小説を小説たらしめるもの」=「小説性」の有無である、と僕は考える。僕には当然ながら、その「小説性」が何なのかを言い表すことはできない。
また、『小説教室』におけるキーワードのひとつに、「小説をつかまえること」があるのだけど、僕はその「つかまえること」に必死になっている自分を、この『日本文学盛衰史』を読んでいる最中に発見した。とても素敵な体験でした。
(それにしても小説って言葉をたくさん使ったな。)