やたらカッコの多い文章。森達也の魅力について考えたこと。
- 作者: 森達也
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2006/01/01
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- 作者: 森達也
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- 作者: 高橋源一郎
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ところが今日、源一郎の文章を読んでいたらヒントになりそうなものを見つけた。それはノースロップ・フライという批評家の『よい批評家』を源一郎なりに要約したものなのだけど、そのなかで、「個人」と「エゴ」、「社会」と「群れ」という表現で、「考える」ことのできる人(それぞれの組み合わせの前者)とそうでない人(後者:「連想」のリズムでしか「考える」ことのできない人:僕はこちら側だろう)を区分けしている。森達也は(少なくともこの国においては)数少ない「個人」なのだと思う。彼は決して「群れ」には回収されない。そして彼が「個人」であることと、僕が彼から感じる「強さと優しさ」には密接な関係があると僕は考える。(「世界はもっと豊かで、人はもっと優しい」を読めばなんとなくわかると思う)しかし、僕は上記の前者・後者の差異をうまく説明することができない。