続・森達也の魅力について。

現代思想」3月号の吉岡忍と森達也の文章を読む。テーマは、放送・メディアの公共性。僕は吉岡さんのことも好きだけど、少なくとも今回のインタヴューでは、森さんのユニークさに比べると、面白みにかける。吉岡さんは、放送の公共性とは何か、どうやってそれを実現するのか、ということについて語るのだけど、森さんは、「放送の公共性?そんなもんないよ。幻想だよ。」というところから語り始めるのだ。いつも思うのだけど、彼はまず「スタートライン」を疑う。「みんなそこがスタートラインだって思ってるみたいだけど、誰が引いたの、それ?」というような具合に。「放送の公共性って何?」ってインタヴュアーに質問しちゃったりするし。
僕が、森達也に惹かれる最大の理由である(と思っている)「それでも世界を肯定する」という姿勢が、今回も見られた。途中、「人類はメディアによって滅びる。メディアなんてぶっ壊しっちゃったほうがいい。」ということを言って、最終的には、「メディアなんてなかった方がよかったんだ」とまで言う。そんなふうにメディアを全否定しているにもかかわらず、「僕は社会の復元力、人間を甘く見ていた。社会が復元すればメディアも復元する。」と、世界への、人への根源的な肯定を感じさせる発言をする。この「肯定の力」は決して派手じゃない。あまりカッコよくもない。だから伝染病のようには広まらない。でも、遺伝みたいにすこしずつだけど確実に、影響を及ぼしているんじゃないかと思う。