川上さんが読んでいるようなので

坊やはこうして作家になる

坊やはこうして作家になる

片岡義男は言葉を媒介として、時間を質量や体積を持ち、手で触れることの可能な「もの」へと変換している。その「もの」は、ホテルの一室、輸送機のプラモデル、引越しの荷物の詰まった段ボール箱というような形をとる。時間が過去のものである場合、それらの「もの」は彼にとって過去の象徴であり、同時に記憶の再生スイッチなのだろう。                     
しかし、彼が描いた「もの」は僕にとってはまるで時間そのもののように感じられるのだ。ところが残念なことに、そのような特異な感覚を呼び起こす文章は、自伝的な文章である前半部に限定される。決して後半部がつまらないというわけではない。後半部は感覚の喚起よりはむしろ思考を促す文章で成り立っているように僕は感じる。それはそれで面白い。しかし前半部と比べるとどうしても見劣りしてしまう。          
高橋源一郎は彼を
「日本文学における最も革新的な書き手」
と称している。近々小説も読んでみようと思う。
ちなみに画像は表示されないけど、装丁は和田誠